行き過ぎたcompliance や Political Correctness が社会を窮屈にする
行き過ぎたコンプライアンス(法令遵守)やポリティカル・コレクトネス(政治的公正さ)が社会を窮屈にしている、という指摘には一理あります。これらはもともと、不祥事の防止や差別をなくすといった良い目的から始まったものですが、過剰になると以下のような弊害が生じる可能性があります。
1 過剰なコンプライアンスの弊害
思考停止の招来: 厳格なルールがすべてを規定してしまうため、何が本当に倫理的で正しいのかを自律的に考える機会を奪います。
萎縮した組織風土: ルール違反を恐れるあまり、新しい挑戦ができなくなったり、社員が発言をためらったりする、息苦しい環境を生み出します。
創造性の低下: 型にはまった思考や行動が求められるようになり、イノベーションが生まれにくい組織になってしまいます。
不正の隠蔽: ルールが厳しすぎると、かえって不正を隠そうとする動機が働き、問題が表面化しにくくなることもあります。
2 過剰なポリティカル・コレクトネス(PC)の弊害
「言葉狩り」による言論の自由の抑制: 相手を「差別的」と非難する「ポリコレ棒」と呼ばれる言動が横行し、本質的な議論ができなくなることがあります。
自由な対話の妨げ: 批判を恐れて本音で話せなくなり、異なる意見を持つ人々の間で建設的な対話が難しくなります。 反発と分断の助長: PCへの反動として、過激な発言やバックラッシュ(揺り戻し)が生まれ、かえって社会の分断を深める可能性があります。
「被害者意識」の助長: 一部の層では、過剰なPCが被害者意識を生み出し、責任逃れを助長するという指摘もあります。
3 本来の目的を見失わないことの重要性
コンプライアンスやPCが健全に機能するためには、その本来の目的を忘れないことが重要です。
コンプライアンス: 不正の抑止だけでなく、企業倫理を高め、持続的な成長を実現するためのものです。
ポリティカル・コレクトネス: 差別や偏見をなくし、多様性を尊重する社会を目指すものです。
大切なのは、行き過ぎた規制や言葉の強制ではなく、個々人が主体的に考え、多様な人々と対話する姿勢です。相互理解を深める努力なしに、形式的なルールや言葉だけを追い求めると、窮屈な社会になってしまうでしょう
compliance と Political Correctnessと倫理や自然法(natural law)とは
コンプライアンスやポリティカル・コレクトネス(PC)と、倫理や自然法(natural law)は、人間の行為を律する規範という点では関連しますが、その性質、起源、適用範囲には根本的な違いがあります。
1. コンプライアンス
性質: 成文化されたルールや規定、強制力を持つ法や制度。
起源: 企業や組織が、不祥事を防ぎ、社会の信頼を維持するために、法令や社内規則を遵守するように定めたもの。
適用範囲: 組織や特定の集団内部、あるいは法律が適用される領域に限定される。
倫理や自然法との関係: 企業倫理のような倫理的規範を取り込むこともあるが、基本的には外部から与えられたルールを守るという受動的な性格が強い。本来の目的は社会的な信頼の獲得にあるが、厳格なルール遵守が目的化すると、倫理的判断を伴わない形式的な対応に陥るリスクがある。
2. ポリティカル・コレクトネス(PC)
性質: 差別や偏見をなくし、多様性を尊重するために、言語表現や態度に配慮しようとする考え方。強制力を持つ法律ではないが、社会的な規範として作用する。
起源: マイノリティや被差別者への配慮が社会的に求められるようになった、比較的新しい社会運動や思想の流れに端を発する。
適用範囲: 言語使用や表現、態度など、社会的な相互作用の広範な領域に関わる。
倫理や自然法との関係: 倫理的な配慮から生まれたものだが、その適用が形式的になると、「言葉狩り」のような硬直した動きに陥るリスクをはらんでいる。普遍的な善を求める自然法とは異なり、PCは特定の集団への配慮から出発しているため、目的と手段が混同されやすいという批判もある。
3. 倫理(Ethics)
性質: 人間が社会生活を送るうえで、何が正しく、何が間違っているかを判断するための、個人の内面にある道徳的判断基準や規範。
起源: 個人の良心、文化、宗教、哲学など、多様な要素から形成される。
適用範囲: 個人の行動や思想に幅広く適用される。
自然法との関係: 自然法は倫理の根源の一つと考えられている。倫理は個人の内面的な指針であるのに対し、自然法はより普遍的で客観的な原理を志向する。
4. 自然法(Natural law)
性質: 人間が生まれながらにして持つ理性によって認識できる、普遍的な善悪の基準や道徳的原理。人間が作った法律(実定法)を超越した、より上位の法とみなされる。
起源: 古代ギリシャ哲学に起源を持ち、理性と秩序に基づく宇宙観を背景に発展した。
適用範囲: 時空を超えた普遍性を主張する。
倫理やコンプライアンス・PCとの関係: 自然法は倫理や道徳の基礎となる原理であり、コンプライアンスやPCのような具体的な規範の根底にあるべき理念と位置づけられる。たとえば、人権という考え方は自然法にその源流を持つ。しかし、自然法は抽象的な原理であるため、具体的な社会規範であるコンプライアンスやPCとは、その次元が異なる。
まとめ: 規範の階層性
これらの概念は、以下のような階層性で捉えることができます。
自然法(理念): 最も根源的で普遍的な原理。
倫理(内面的な指針): 自然法に基づいて、個人や社会が形成する道徳観。
コンプライアンス/PC(具体的なルールと配慮): 倫理を社会や組織に適用する形で具体化したもの。
問題は、下位の規範(コンプライアンスやPC)が、上位の規範(倫理や自然法)から切り離されて、形式的に適用される場合に起こります。つまり、本来の目的である倫理や公正さを見失い、ルールを守ることや言葉に配慮すること自体が目的となってしまうことで、窮屈な社会が生まれる、という指摘は、このような規範の階層性のねじれを示していると言えるでしょう。
compliance や Political Correctnessは,倫理や自然法(natural law)を超えている?
コンプライアンスやポリティカル・コレクトネス(PC)が、倫理や自然法(natural law)を「超える」ことはありません。むしろ、これらはより上位の規範である倫理や自然法を実現するための具体的な手段や方法であるべきものです。
問題は、その手段が本来の目的を見失い、独立して暴走したときに生じます。手段が目的化し、過剰になると、倫理や自然法が求める本来の精神と乖離してしまうのです。
1 コンプライアンスが倫理や自然法の精神を超えるとき
「形式的遵守」が目的になる: 企業が法令遵守を徹底するあまり、倫理的な判断が伴わない「ルールだから守る」という思考停止に陥ることがあります。倫理が求める「何が本当に正しいか」を自律的に考える力が失われます。
不公正なルールが強制される: コンプライアンスは、あくまで人間が定めた「実定法」に基づいています。もし、その法律や規則自体が、普遍的な善である自然法に反している場合、コンプライアンスの遵守が倫理に反する結果を招くことがあります。
萎縮した組織風土: ルール違反を過度に恐れるあまり、社員が倫理的な問題について議論したり、新しいアイデアを提案したりすることを躊躇するようになります。その結果、組織全体の創造性や活力が失われてしまいます。
2 ポリティカル・コレクトネスが倫理や自然法の精神を超えるとき
「言葉狩り」による対話の抑制: 本来、PCは差別をなくし、対話を促すための配慮として始まったものです。しかし、過剰になると、特定の発言を「不適切」と一方的に断定し、建設的な議論を封じ込める「言葉狩り」に発展することがあります。
批判的な思考の妨げ: PCは、時に挑戦的なアイデアや不快な事実を避ける傾向を生み出します。たとえば、教育現場で歴史の負の側面を教えることが「配慮に欠ける」とされ、議論が避けられることがあります。しかし、これは普遍的な真理を探求するという倫理的責務に反します。
過剰な「配慮」がもたらす弊害: 誰かを不快にさせないように言葉を選ぶあまり、本来伝えたいことが曖昧になったり、本音で向き合うべき問題が放置されたりします。人間関係のストレスが増大し、かえって人間性や尊厳を傷つける結果につながる可能性もあります。
結論:手段と目的を混同しないこと
コンプライアンスもPCも、それ自体が目的ではありません。より上位にある倫理や、理性によって認識される普遍的な善である自然法を実現するための道具です。
これらの規範が健全に機能するためには、その背景にある「なぜそのような配慮やルールが必要なのか」という倫理的根拠を常に問い直す必要があります。手段が目的を逸脱し暴走するのを防ぐことで、初めてこれらは社会をより良くするための有効な力となります。
つまり、コンプライアンスやPCは、倫理や自然法を超えるのではなく、その精神を体現する役割を担うべきものなのです。
行き過ぎたcompliance や Political Correctness は、人類のinnovationを阻んでいる?
行き過ぎたコンプライアンスやポリティカル・コレクトネス(PC)が、人類のイノベーションを阻害する可能性はあります。ただし、両者の関係は単純なものではなく、バランスが重要だという見方が一般的です。
1 過剰なコンプライアンスがイノベーションを阻害する側面
リスク回避の優先: イノベーションには未知のリスクが伴いますが、過剰なコンプライアンスはあらゆるリスクを排除しようとする傾向があります。これにより、リスクを伴う新しいアイデアや破壊的イノベーションへの挑戦が敬遠されることがあります。
ルール遵守の目的化: 企業がルールを守ること自体を目的としてしまうと、「なぜこのルールがあるのか」という本質的な問いが失われ、思考停止に陥りがちです。形式的な手続きに時間を取られ、創造的な活動に割くリソースが減ってしまうこともあります。
萎縮した組織風土: 厳格な規則は、従業員の自律性や自由な発想を抑制する可能性があります。失敗を恐れて発言をためらうようになり、活発な議論や多様な意見交換が生まれにくくなります。
2 過剰なポリティカル・コレクトネス(PC)がイノベーションを阻害する側面
「言葉狩り」による議論の停滞: 批判を恐れて本音で話せなくなったり、議論が「誰かを不快にさせないこと」に終始したりすると、本質的な問題提起や大胆なアイデアが出にくくなります。
同調圧力の強化: 多様性を尊重するPCの考え方は、時に「正しい」とされた意見への同調圧力を生み、主流派の考え方から外れる革新的なアイデアが埋没する原因になることがあります。
表現の制約: 芸術やエンターテインメントの分野では、PCへの過剰な配慮が、表現の自由を制約し、作品の創造性や多様性を損なうという懸念が示されています。
3 イノベーションを促進する側面も
一方で、コンプライアンスやPCが健全に機能すれば、イノベーションを促進する側面もあります。
コンプライアンスが信頼を築く: 倫理的で安全な製品・サービスは、顧客の信頼を得る上で不可欠です。コンプライアンスは、この信頼の基盤を築き、持続的なイノベーションのための土壌を作ります。
PCが多様性を引き出す: 多様なバックグラウンドを持つ人々が安全で公平だと感じる職場環境は、多様な視点やアイデアを生み出し、イノベーションの源泉となります。カリフォルニア大学バークレー校の研究では、PCの規範が職場の創造性を高める可能性が示唆されています。
結論:バランスが鍵
行き過ぎたコンプライアンスやPCは、確かにイノベーションの妨げになりえます。しかし、これら自体が悪なのではなく、健全なバランスが重要です。大切なのは、ルールや規範の「目的」を常に意識することです。
コンプライアンス: リスクを避けつつ、倫理的な成長と社会からの信頼を得るための戦略的な投資と考える。
ポリティカル・コレクトネス: 表面的な「言葉狩り」ではなく、多様な人々が本音で安心して議論できる環境を醸成するための配慮と捉える。 このバランスを失い、手段が目的化したときに、窮屈な社会とイノベーションの停滞が生まれる、というのが多くの識者の見解です。
なぜ、同調圧力に屈したり、自己規制に走ってしまうのか?
同調圧力に屈したり、自己規制に走ってしまう背景には、さまざまな心理的・社会的メカニズムが複合的に絡み合っています。
1 同調圧力に屈する心理的メカニズム
所属欲求と拒絶への恐怖
人間は社会的な動物であり、「集団に属したい」という強い欲求を持っています。この欲求を満たせないこと、つまり集団から排除されることへの恐怖は、行動を周囲に合わせる大きな動機となります。
日本では「出る杭は打たれる」という諺に象徴されるように、集団の和を乱すことへの強いプレッシャーがあり、拒絶されることへの恐怖心が同調行動を促します。 自己規制
人は社会の規範に合わせて行動を調整する能力(自己規制)を持っています。これは集団のメンバーとしてうまくやっていくために必要な能力ですが、過剰になると自らの意見や個性を抑え込む自己規制へとつながります。 情報的同調
人は、特に不確かな状況下で、周囲の人々の行動や意見を参考にします。**「みんながやっているから、それが正しいのだろう」**と判断し、自分の考えを修正する心理が働きます。 規範的同調
正しいかどうかにかかわらず、集団に受け入れられたい、好かれたいという動機から、周囲の期待に沿った行動をとります。これは、集団のメンバーとして評価されたいという承認欲求とも深く関わっています。
2 自己規制に走る心理的メカニズム
自己防衛
批判されたり、失敗したり、人間関係がこじれたりすることを恐れて、自ら行動や発言を制限します。これは、自分の身を守ろうとする無意識的な防衛機制の一種です。
過去に失敗や裏切りによって傷ついた経験がある人は、「また傷つきたくない」という心理から、誰かの意見に従うことを選ぶことがあります。 思考停止
複雑な状況で自分で考えることを放棄し、周りの意見に流されることで、意思決定の労力や責任を回避しようとします。 外部からの承認が組織内に限定されているような閉鎖的な環境では、突出した成果を出すよりも「波風を立てない」ことが評価される傾向が強まり、思考停止して従うことにつながります。 「正しさ」への固執
同調圧力をかける側も、自分の考えが「正しい」と強く信じている場合、異なる意見を「間違い」と見なし、相手に自分の考えを押し付けがちになります。これによって生じる圧力に対し、相手は自己規制を強めることになります。
3 日本の社会・文化的な背景
日本の社会では、これらの心理メカニズムを助長する文化的背景が指摘されています。
集団主義文化: 個人よりも集団の調和を重んじる文化が根強く、周囲の意見に合わせることが美徳とされる傾向があります。
「場の空気を読む」文化: 言葉を介さないコミュニケーションを重視するため、明文化されない不文律や暗黙の了解が個人の行動を強く制約します。
「世間体」への配慮: 他人からどう見られるかを気にする「世間」の目が、個人の行動や自己規制に大きな影響を与えます。
まとめ
同調圧力や自己規制は、必ずしも悪とは限りません。集団の秩序を保ち、社会を円滑に機能させるために必要な側面もあります。しかし、それが過剰になると、個人の自律性を奪い、創造性や健全な議論を妨げる要因となります。
なぜ屈してしまうのかを理解することは、健全な同調と過剰な同調を見極め、自分らしく生きるための第一歩となります。
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