大桑村


 木曽地区には遺跡が点在していることから、有史以前、すでに人類が住んでいたといわれていますが、国史に登場するのは8世紀のはじめ。続日本紀に大宝2年(702)「初めて岐蘇山道を開く」、和銅6年(713)「美濃・信濃二国を結ぶ怪道は険しく往還が困難なため吉蘇路を通ず」と記されており、このあたりが古くから東山道の重要な位置にあったことがうかがわれます。
 交通の要所としての軍事的価値と、大森林を擁する経済的価値を背景に、当地には宮ノ越を中心とした大吉祖庄と、大桑村を中心とした小木曽庄(木曽南木曽庄)という2つの荘園がありました。そして木曽の名は平安末期、木曽の豪族中原兼遠に擁立された木曽義仲が平家追討の兵を挙げたことによって、一躍全国に知られることとなります。
 明治7年(1874)12月、筑摩県権令の奨励指導によって須原村、長野村、殿村、野尻村が合併して大桑村となりましたが、明治14(1881)3月には財産区分問題がもとで、再び4か村に分かれてしまいました。そして明治22年(1889)4月、新町村制実施によって旧4か村は再度合併、今日の大桑村が誕生しました。

村民憲章

わたくしたちは、豊かな自然環境と、輝かしい文化と歴史を継承してきた大桑村民です。
わたくしたちは、この愛するふるさとの限りない発展をねがい、更に連帯を深め、平和で明るく住みよい村づくりを進めるために、この憲章を定めます。
 1、自然を愛し環境をととのえ、心やすらぐ美しい村をつくりましょう。
 1、知性を磨き文化をはぐくみ、香り高い潤いのある村をつくりましょう。
 1、資源をいかし産業を伸ばし、活力あふれる豊かな村をつくりましょう。
 1、ふれあいを大切にし助け合って、人情こまやかな温かい村をつくりましょう。
 1、心身をきたえ勤労を歓び、希望に満ちた明るい村をつくりましょう。

大桑村役場 電話0264-55-3080



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