1 庚申塔 石造物 大字福島175 西福寺
60日に1回巡ってくる庚申の日に、その夜を眠らずに過ごして健康長寿を願う信仰が江戸時代に広まり、これを庚申待ちと言います。この仲間の人たちが建てた塔を庚申塔といいます。
この庚申塔は高さ108.2センチの石祠形で、その銘文から寛永20(1643)年に造られた市内最古の庚申塔です。
以前は、福島集落の北入り口の堤防上にありましたが、後にこの西福寺に移されました。
2 笠鉾・屋台 祭事用具 大字須坂410 笠鉾会館
須坂の祇園祭は数世紀の流れを経て今日に至っています。7月20日〜24日の5日間にわたる真夏の須坂の祇園祭に巡行する笠鉾は、永い歳月の間人々の目を楽しませてきました。この巡行は、京都祇園祭の山鉾巡行と同様、災いや疫病神を招きよせ、追い払うために行われてきました。
笠鉾は、その頂きを飾る依代と笠の下に取り付けられた2段の帽額に特長があり、11基そろった全国的にも貴重なものです。
屋台は、お囃子や踊りをする舞台として笠鉾巡行とならんで祇園祭にはかかせない存在でした。須坂の交流を極めた製糸業の全盛期には、屋台も11台ありましたが、現存しているものは4台です。
3 野辺の来迎念仏 大字野辺789ー6
野辺の来迎念仏は春秋の彼岸・盂蘭盆及び11月の十夜念仏の4回行われ、また、念仏の途中で鹿を模した2頭の獅子が現れて舞を演ずることから、「四度の念仏」または「獅子念仏」とも呼ばれている。その起源は鎌倉時代に時宗を開いた一遍上人の踊り念仏がは
じまりといわれ、鎌倉時代末期嘉歴年間(1326〜1329)に時宗遊行4世呑海上人が野辺に伝えたものといわれている。なお、獅子念仏は後世つけ加えられた念仏芸能と考えられる。
この来迎念仏は、昭和47年3月1日に須坂市指定無形民俗文化財に指定され、近年の研究で長野県内でも重要な無形民俗文化財であることが判明したものである。
4 獅子狂言「梅川」 大字村山278
獅子狂言は浄瑠璃の物語を狂言風に脚色し獅子踊り化したもので、江戸時代より行われてきたものです。
村山町の「梅川」は近松門左衛門の浄瑠璃「冥土の飛脚」を獅子踊化したもので明治初年から伝承され、形式も整って昔をとどめている。
5 高梨の牛獅子 大字高梨77
須坂で伝承されている獅子狂言の中でも異色なものの一つ。
2人で牛の形に組んだ獅子が牛方に鼻先をとられて登場する。その後を1人の農夫が追ってきて牛方との問答がはじまる。この場合牛方が関山国師である。
高梨には、古い獅子頭となすがらの笛が大切に保存されている。
6 上八町の赤熊 大字843ー1
毎年10月第2土・日に霧原大元神社に奉納される太神楽の一連の行事の1つです。
熊は毛槍の変形で、長い柄の先に麻を垂らしたものを、奴姿の若者が振ります。赤熊の前では先箱が、後では長柄立傘が赤熊に合わせた動きをします。須坂市内に残された唯一の赤熊で、これは特に柄が長く、中心になる大赤熊の長さは5.6メートル、小赤熊は4.65メートルあります。
信州ふるさと通信
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