樋ノ下稲荷神社の初午


初午 2月14日
春祭り 3月20日 21日
秋祭り 8月20日 21日
淀ヶ橋 稲荷社 公民館
組 織   淀ヶ橋 美和神社氏子 7組の一つ橋場組
御利益   農産豊穰 火伏せ 家運長久

 崇拝対象は、倉稲魂(うがのみたま)、御食津神(みけつかみ)、保食神(うけもちのかみ)である。
 今年は2の午の日で午前10時、役員は柄杓で水をかけ手をきよめ、半紙で手を拭き拝殿にのぼる。出席者は町の役員、総代と祭典係35人くらいと一般参詣者である。先ず一礼をし、太鼓がなると二拝、二拍手、一拝の拝礼をし、神主は祝詞を上げお祓いをし玉串奉奠を行う。
供物は米、魚、野菜(大根、人参、さつまいも)酒などを供える。15時頃まで行う。一般参詣者は参拝後、小判や小槌などのついた縁起物の笹竹とお札をもらい、甘酒をご馳走になる。午後4時過ぎに会場を近くの公民館へ移し、直会をする。費用は一部区費で、あとは寄付を受けてまかなう。
 初午が早過ぎると火早いといって、その年火事が多くなると嫌われ二の午にお祭りをする。湯福川が鐘鋳川に落下する所を樋の下というが、そこに漂着した御神体を村人が拾い上げて今の所にお祀りしたのが始まりといわれる。また、今の社の北側に住む坂田佐吉氏(昔馬喰をやっていた)の屋敷神であったのを町として祀ることになったと、明治14年の三輪村社寺明細帳に記されている。
 樋ノ下稲荷の名の起こりは、鐘鋳川の上を跨いで流れる湯福川の樋の高さは一尺と決められ、増水時にはあふれて鐘鋳川に落ちるように作られている川の、立体交差場所であり、その樋の下のことをいった。かつては10人衆といわれる10軒がすべてを取りしきり玉垣等も奉納した。
            (昭和62年2月14日・山田茂氏他)

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村人の祈りが聞こえる

信州ふるさと通信
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