三十三献灯
8月9日
篠ノ井塩崎 山崎区公会堂及公会堂の火の見櫓前と長谷観音境内
組 織 山崎部落 三十三献灯保存会
御利益 雨乞い祈祷とお礼の献灯 祭りのあと 灯籠を倒し堤灯をひろって帰ると蚕がよく出来るといわれた
古文書 江戸時代中期 後期の古文書がある
崇拝対象は長谷観音境内にある雷電権現である。祭祀の順序は8月9日午前9時、子供連(15歳以下)によって三十三(本体)の棒洗いを八幡神社の境内で行う。今までは川の水で洗い浄めたが今は紙やすりでふく。午後3時36歳以上の人達が山崎公会堂に集まり本体の組立、色紙、青竹、火縄、縄などの作成作業をする。出来上がった三十三を公会堂前の火の見櫓に立てかけ、供物として御神酒、魚、野菜をあげ全員で「ヤーヤーヤー」の一しめをして若衆へ灯籠を引き継ぐ。夜亥の刻(午後9時)祭典委員(15歳から35歳までの人)によって三十三を長谷寺まで持って行き、堤灯に火をともし献灯する。夜8時すぎ長谷寺の住職が観音堂で護摩を焚いて祈願をする。長谷部落から獅子舞の奉納がある。三十三灯籠を点火のまま倒す。この堤灯を拾うために人々がこの下へ殺到する。拍子木の合図によって、本体をまとめて山崎部落へ引き上げて公会堂で慰労会をする。
古文書によると、この祭りは江戸中期(亨保年間)に始まったものと考えられる。長谷観音に雨乞いをしたところ慈雨に恵まれたので、その感謝のための祭礼として行われてきたものとされる。しかし今のように三十三灯籠という形は、ローソクを庶民が使用できた江戸後期頃からのものではないか。三十三灯の数は観音信仰の三十三化身になぞらえたもの。形は未開蓮華の形であるとか。当時この部落の家数が三十三戸であったからなど、さまざまないい伝えがある。
三十三灯籠の大きさは、約11米の心棒に横棒を4本結びつけ、そこへ三十三の堤灯をつける。
祭典委員の当夜の服装は、向鉢巻、腹掛、脚胖、草鞋といった往時の姿である。
祭りの行列は、露払い2名、祭典長正副2名、先拍子木2名、火縄2名、本体、後拍子木1名の順である。
虚空蔵さまと観音さまが喧嘩をして観音さまの目を里芋の葉でついたという。それから、この村では里芋は作らないことにした。しかし明治13年以降、観音様に許しを乞う祭りをして、里芋を作るようになったという言い伝えがある。山崎の部落では8月9日には茄子のおやきを作って食べる。
(昭和61年8月9日・矢島憲之氏)「更埴地方の文化」参照
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