因 講(ちなみ こう)


4月第3日曜日
古牧五分一 公民館(もと名号堂)
組織   五分一内の浄土宗 浄土真宗の西 東本願寺の門人と曹洞宗の三戸40人〜60人集まる
御利益  現世利益
古文書  江戸時代の東本願寺の住職が書かれた説話の巻物が残っている

 崇拝対象は名体不二の阿弥陀如来の像(粉ふき御名さん)の掛軸。御供物は灯明、線香、菓子、花、かね。僧侶は当番の家の菩提寺の住職で、お経は当番の寺の宗旨の御経。その後住職より阿弥陀の説教を聞く。
 部落を三つにわけて一部落より二人ずつ当番を出し、六人で三年当番をうけもつ。昔は当番の家で行ったが、四十〜五十年前から公会堂で行う。昔は五月春祭りに続いて行ったが、現在は四月の第三日曜日午後一時から二時頃まで行う。またその年になくなった方の供養をする。当番の家では住職の昼食の接待と、終了後あとふきをする。三年目に話し合いで次年の当番をきめる。
 講は二百年来続いているといわれていて、北陸方面からの念仏講の流れが始めと思われる。明治の始め、五分一の興兵衛さんが西町の古物商より如来さんの掛軸をゆずり受け、因講に提供したといわれ、その後明治年間、西本願寺御門主より御消息を賜わっている。名体不二の名号とは、六字の名号がそのまま阿弥陀如来のお姿に描かれているもので、江戸時代末期、篤信家の井原某が掛軸を入手し、講中に寄進されたともいわれており、善信の賛がある。
 昔、戸隠村上野の部落で、留守番の婆さんが、そば粉を念仏を唱えながら挽いていた。うとうと居眠りをすると、「婆さんや」と呼ぶ声がする。粉だらけの手で奥の古箪笥にしまってある如来様の軸を出して掛けると、御光がさしたという説話がのこっている。
              (昭和60年4月21日・井原孝平氏)

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信州ふるさと通信
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