道祖神日待占
1月14日 15日 (小豆焼占い)若穂高岡区 占い宿(前年に祝い事のあった家なければ公会堂
組織 高岡区民 三島講の講員
御利益 五穀豊穰 無病息災 良縁 書の上達
古文書 大正4年から昭和36年までの記録
石像石塔 双体道祖神
禁忌 高岡地区では産土神が胡麻で目をついたので胡麻を作ると目が悪くなると言い伝えられている。 この行事は農業神 夫婦神 正月行事 予祝行事などの要素が時間的経過の中で複合されているもので、昭和36年で途絶えてしまったものを、村民や民俗学研究者達の手で完全な姿で復活させたものである。
1月14日の木像道祖神作りは、夕食前、世帯主が近くの山へ行き、ぬるでの木を切り男女二体の道祖神を作る。和紙で着物を作り帯を結び、更に一本の帯で男女神を一つに結びつける。上部をけ ずり男女の顔を書き、男女の違いとして、髪の毛の一部をかき入れる。着物に家紋を入れる。作られた木像道祖神は、白米を入れた一升桝に立てて神棚に供え、翌朝小豆飯を炊いて供える。
15日夕食後、各戸に祭られた道祖神を一升桝に入れて石祠に守られた道祖神の前に安置し、米を供え早く良縁に恵まれるようにと祈る。
ものづくりの行事は14日夕食後、家族皆で米のだんごで繭玉や野菜、巾着、大判小判などを形作り、泥柳の枝につけて神棚に飾り、五穀豊穰を祈る。最近はリンゴの枝を使う。
15日は、松納めのどんど焼きをする。門松、書き初め、だるま、古いお札など道祖神広場へ集め、かしわの木2本を心棒に集めてきたものを立てかけ、一番上に清水寺の歳神札をつける。これを2基つくる。どんど焼きの火で繭玉や餅を焼いて食べると1年中病気をしないという。また燃え残りの木を持ち帰り、春先それで味噌を炊くと味噌の味が変わらないといわれる。
道祖神日待占「小豆焼き」はどんど焼終了後行う。この役割分担は三島講の若い衆が占いを担当し、頭屋役2名、中継1名、記録係2名、これらの人は親方の話し合いできまる。頭屋役の2名は斎戒沐浴をする。
1 囲炉裏のまわりを塩で清め、薪を燃やし炭を半俵程入れて温度を上げる。
2 カワラケ(鉄製の燈明皿)を真赤になるまで焼きこむ。
3 中継者は隣の部屋で、親方衆は奥の座敷の床の間の前で、記録係は親方と同じ部屋に、小若衆村人当家の人や親戚の人は中継の部屋で占いを見守る。
4 頭屋役が真赤に焼けたカワラケに小豆を入れ「ドウロクジンサン、ドウロクジンサンごきげんよかったらくるりとまわらっしゃい」といって道祖神の御機嫌を伺ってから始まる。まず専達三島神社の機嫌を占う。村内、世の中の様子、稲、麦、豆類、雑穀、野菜、蚕桑の取れ具合、風や水の有無など35項目にわたって次々に占う。
5 小豆の動きや回転状況によって上上ノ上・上上・上・中・下の5段階に区別される。勢い良く回転し外へ飛び出したら上上ノ上であり、回転せずカワラケの中で黒く焼けてしまうと下と判 断される。頭屋役が大きい声で判じを言うと、中継が同じ文句を反復し、座敷にいる親方衆がもう一度それを言うことによって占いの結果が正式に認められ、記録係によって和紙に墨書きされる。
6 余興として正式な占いが終わると、今度は中継が占い師となり、たのしみの占いに興じる。終了後参会者一同「二オクをあげて三国一の道祖神の日待を致しました」といって三、三、五拍子を打つ。後は酒宴にうつる。
(昭和59年8月・上沢猛氏他)「若穂の文化財」参照
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村人の祈りが聞こえる
信州ふるさと通信
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