Iターンネットワーク

新・信州人倶楽部

▲▲▲ 新・信州人倶楽部報 ▲▲▲


〜第6号

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〜二年目に思うこと〜


E.K.


 「新・信州人倶楽部」も二年目に入り、専門部として職種別のIタ−ン相談体制とレクリェ−ション活動が新たに動きだしゆっくりではありますが、走りすぎず立ち止まらずの精神で行きたいと思っています。この指とまれ形式でスタ−トし、何を目的にするかもわからず動き出したのですが、会員の中では様々な交流が生まれているようです。

 幹事会ではいろいろな企画が考えられていますが、Iタ−ン者は独立独歩的考えの人が多く(また、そうでなければ転職や移住は考えないが)、個性も強く、他人の行動には冷静に対処するように思えます。いろいろな企画も多少浮いてしまう感は否めません。私は代表や幹事の考えだけでこの会が運営される上意下達的なのは好ましいと思いません。

「なんだ、何もしない会じゃないか」と言う批判は甘んじて受けますが、『会員になったが何をやってもらえるんだろう』ではなく『入会したことで自分は何ができるだろうか、こんなことはどうだろうか』と言う意見を出してください。この会はIタ−ンネットワ−クという冠が付いているように出会いを大切にしています。人・物・技術などの交流が図れれば、それで80%は会の目的が果たせたと言っても過言ではないと思います。幹事はその人と人との仲立ちをするようなものと考えてください。
 Iタ−ン者はそれぞれ自分なりの人生観や人生哲学を持っていることから、他人の話を聞いて自分の人生の軌道の修正を図ることも大切だと思います。

 しばらく例会の形は存続し、膝を割って心を開きお互いに気心が知れるような場を設けるよう努力してまいります。自分の考えと違うといって会を離脱されるのは自由ですが、せっかくの出会いのチャンスを無駄にして言いたいことも言わずには離れるのは損だと思いませんか。

 私が東京でハンディを持った人達と活動していたときに『みんなちがって、みんないい』というキャッチコピ−を良く使いました。人はそれぞれ個性があり考え方も別々です。一人の考えでリ−ドしていくのではなく様々な考えを集約して共存していく事が重要ではないでしょうか。言い換えればこの会も世界の縮図の一つかもしれません。会の中にはあなたにプラスになる人が絶対いるはずです。ご意見をお待ちしております。



〜Iターン、私の場合〜

A.S.

 私は1947年新潟県越路町に生まれてすぐに長岡市に移り、40歳まで暮らしましたふるさと長岡は、山本五十六の出身地ということなのかB29の焼夷弾攻撃に会い市街地は消失、1,300人以上の市民が帰らぬ人となりました。戦争はいつの世でも悲惨な結果しかもたらしません。現在は18万人の地方中核都市となり、「戦後復興祭」としてスタートした「長岡まつり」も受け継がれ、毎年8月2日〜3日には正三尺玉、ナイアガラ、ベスビアス大スターマインなどが信濃川河川敷で打ち上げられ、質量ともに「日本一の大花火大会」が夜空を焦がして競演されます。何やら高校野球の紹介みたいになりましたネ?

 1988年11月松本市に移り90年3月に堀金村に居を構えました。18の頃から山登りにとりつかれ、毎週末ともなれば北アルプス目指して前夜登山口にテント泊。翌日は山行を終え一目散に真夜中の自宅に向かう。……こんな繰り返しも所詮時間の浪費と思い、すばやく山に登る手だては山に近い麓に移り住むのが一番と決心し、愛妻も説得し犬一匹と赤いカナリヤ一羽を引き連れてきたのです。

 1988〜89年、ネパールランタン谷トレッキング(4,400M)、92年夏インドヒマラヤ、ドラパティ・カ・ダンダ・2峰(5,670M)登頂。94〜95年冬ネパールヒマラヤ、アイランドピーク(6,169M)目指すも約5,700M付近にて敗退。今やいろんなことが障害となり、6,000M高峰を超える夢は幻のごとくなりつつあります。

 家族構成は妻礼子(1949年生まれ)、ROCK(柴犬とシェルティの雑雌犬7歳=二代目)とドブネズミ1匹、てんとう虫が多数です。
96年南アルプス(光岳〜易老岳〜茶臼岳〜聖岳)縦走下山後、思わぬ病を得て8月に入院、10月1日に手術をし4か月の闘病生活を経験しました。今を思えば、あれは現実ではなく「映画のスクリーン」で見た出来事のように感じるのです。

 1年くらい前ですが、NHKラジオ(帰宅途中)にて「Iターン者・Uターン者は今?」という番組をやっており、興味深く聞き入りました。その概略の一部を紹介します。
Uターン者が久々に戻るかの地には、ふるさとなのだから当たり前なのですが、親・親戚・兄弟・同期生・友人…などの受け皿があります。都会生活者として身につけてきた新しい文化、知識、情報にも耳を傾け、田舎の土地に縛られ閉息状態にある自分たちを変えたいという人々の要求もあるようです。その考えと一致すれば、地方でも大変革はいくらでも起こり得るし、現に成功例もたくさんある、という話しでした。
これに比べてIターン者の場合は受け皿も弱く、都会とのギャップもあり移住先では苦労している例が多いとのことでした。
私達「YORIMASHO」の運動はまだ始まったばかりです。長野県内でもiターン者の就職率は松本管内が322人と一番多く、この仲間達にも輪を広げたいものです。.

 一句
 平成の おもしろきなき世を おもしろく

 私は働く人々の医療機関として、地域医療に取り組んでいる松本協立病院でガンバっています。ここでは24時間駆けつけた患者さんを受け入れています。また、山形協立診療所や塩尻協立診療所もあります。

(R.S.)


〜育てる と言う事〜

美ヶ原トレッキングで思う

K.T.

 私は数年ぶりの山登りで、亮太(長男5歳)は初めての山登り。昨日までのうっとうしい天気とうって変わった快晴で(普段の行いが良いせいに違いない?)、待ち合わせの駐車場には10分前に到着。
 早速元気にご挨拶と思いきや、亮太はやけにおとなしく小声で挨拶し、聞かれてもモジモジするだけ。私達の住んでいるところは、ただでさえ人の少ない村の中。子供にとって見知らぬ大人との接触は皆無に等しいため、今回は頑張って子供を連れ出した。

 9時、頂上のテレビ塔目指して出発するものの、山に入ってからも亮太は重い足取りで、「疲れたか?」と私が聞くと「大丈夫」と応える。そうは言うもののどう見たって元気が無いので手をつないで登る。林道に出た所で小休止して、“頂上まで行けるかな?”とちょっと心配になる。
 おばあちゃんにもらった飴を口に放り込んで出発すると、今度は私の後ろを歩き始める。「保育園は面白い?」と聞かれて「うん」と応えるので、少しは会話が出来ているのかな。再び山小屋の前で小休止。小学生のおにいちゃんとケルン作りをするが、積んでいるのやら崩しているのやら。

 亮太はここからなぜか私の前を歩き始めた。「端っこ歩くと危ないよ」、「走って登ると疲れるぞ」と大人達の言葉がかかる。元気が出てきた証拠かな?
頭の上を覆っていた杉の木立が途切れ、変わりに腰の高さに咲くツツジの花が現れた。視界に入るのは乗鞍、御嶽、南アルプス、さらには遠く富士の山。つづら折れた道の終点は、石碑に刻まれた“王ヶ頭”の文字。

 「さあ、お昼ご飯」と、思い思いに広げるお弁当。我が家はママが作ったお弁当を食べる。北アルプスと八ヶ岳も視界に入れた贅沢な景色で、嫌がおうにも食欲が増してしまうのは仕方のない事。
 さてここでちょっとした出来事が発生。
石を割って遊んでいた亮太の目に、石の破片が入ってしまったらしい。ギャンギャン泣いてうずくまる。普段なら「ママ!ママ!」と言って騒ぎまくる所だが、あいにくそのママはいない。
 「おばさんに見せてごらん」、「何も入っていないよ、もう大丈夫」と言われて安心したのか、ケロリと泣き止む。もっとてこずらせるかと思ったのに、ずいぶんあっさりと納得してしまい、私にとってはちょっと不思議な光景。親が思っている以上に成長していると言う事なのか。

 食後の運動は高原の散歩道を行く。のんびりとくつろぐ牛。彼らを見ながら草原をのんびりのんびり歩く。突如現れた下界の景色に、車を停めた駐車場が見える。ここからは下り道。小学2年生の“隊長”を先頭に、次を行く我が家の保育園児が“副隊長”。
「走っちゃダメだよ」、「転ぶぞ、危ないぞ」そんな声がかかるほどに元気になった。なぜだろう。登り始めた頃はあんなにしおらしかったのに。もう私なんぞに目もくれず、どんどん先に行ってしまう亮太。この数時間でいったい彼にどんな変化があったのだろう。今日のこの山登りで彼は彼なりに得たものがあったに違いない。今日は連れて来て正解だったなと思う。

 周りに迷惑かけているのはわかっているけれど子供は親の存在だけでは育たない。他人同志もかかわって社会全体で育んでいくもの。漠然とそんな事を思っていたけれど、今日はそれを実感させてくれるとってもいい機会だった。
 みなさん本当にありがとう。


会員紹介

今号では3人の会員に登場してもらいましたが、
インターネットでは1人の方を紹介します。


第5回例会のご案内


〜とくとく情報〜

C.N.さんから
昔の仕事の関係で、JAS(日本エアシステム)の航空券が安くて手に入ります。ほぼ20%以上の割引ができると思いますのでご一報ください。

ペンション「あるかす」では新・信州人倶楽部の方のご利用には、特別割り引きさせていただきます。どうぞご利用ください。


編集人から

 第6号会報「よりましょ」をお届けします。
インドネシアの山火事の影響で、今年はカッコウやホトトギスの渡りが少ないようです。私の家の近くでも6月に入ってから、ようやく両方の鳥の声を聞くことができました。

〜最近の梓川、矢橋のようす〜
 メダカの学校では、5月28日にメダカの子が確認されました。大水もだいぶ引いて、河原が広くなりました。

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会報目次

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