Iターンネットワーク 新・信州人倶楽部 |
〜第56号〜 |
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〜忘年会報告〜
中澤 滋
2006年度の忘年会は12月9日、松本市梓川の梓水苑で行われました。参加者は18名で、うち宿泊は15名、日帰り3名でした。
宴会料理は数日前に行った料理長との打ち合わせで、通常のコースにエビサラダの大皿と、てんぷらの大皿合わせて6皿の特別料理を追加したのでボリューム満点。てんぷらの皿には大きめなエビが12、3本もあったのには驚きでした。
さて和室を一部屋確保しておきましたので、宴会後はそこで二次会を開き、今回参加できなかった東京のYさんから届いた越後の純米吟醸酒と、Tさんが持ってきてくれた珍しい「杜氏が選んだお酒」、それに事務局で用意した日本酒と焼酎、そしてドイツ銘醸ワインなどで、夜遅くまで飲んで話がつきませんでした。
二次会用のつまみにと持って行った手作りベーコン(材料費のお金は頂きました)も、「塩辛くない」と好評で、差し入れとして持って行った白菜のキムチ漬けも、これまた好評で良かったです。今回初めて利用した梓水苑ですが、ツイン、メゾネット共に広くて、質の良い調度品で気持ちの良い部屋でした。宿泊料は4200円の宴会料理が付いて2名利用の場合の1名1万500円は、なかなかお得な料金でした。
忘年会開催日は冬の時期のため、大雪などの場合のアクセスはいつも心配で、ある年は雪のために中止となったこともありました。ここ梓水苑は松本インターから10分程度と、遠方の方にも便利なので、これからも利用したいと思いました。
今後、とりあえず安曇野地域で行う忘年会は梓水苑にしたらどうかと思います。それ以外の地域で安くて良い宿泊施設がありましたら、長野や上田方面、茅野、あるいは飯田方面と、場所を毎年変えても面白いかもしれません。
〜町会長になって〜
中澤 滋
私が2006年度に松本市○○町会の町会長に任命され、ようやく任期が終わろうとしています。私の考えですが、都会で暮らそうがIターンして田舎にこようが、同じ土地である程度の年数を暮らす人には、地区の重要な役が回ってくることは仕方のないことだと思っています。また、それに応えるのが社会人としての責任でもあるので、今回も乗り気ではなかったのですが最終的には引き受けることにしたのです。
たしかに町会長になってからはいろいろあり、それは大変でしたが、今まで知らなかった多くのことが分かり、また新しく知り会った人も多く、今ふり返ればそれなりに良かったように思っています。
今回、そんな体験談を皆さんに聞いてもらいたくて、連載を始めることにしました。
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毎度のことで、ある程度の予感はありましたが2006年3月の「新旧組長顔会わせ会」は大変もつれました。誰も町会長をやろうとしないからです。私たち地区の町会というところは、昔から町会長・区長を選挙で選ぶのではなく、毎年隣組の新しい組長が集まり、その中の互選で決めているのです。
新組長だけで二階の部屋に集まった顔ぶれをみると、私よりも年上で町会長の出来そうな人が2名ほどいたのですが、皆、だんまりを決めているのです。もちろん私もそうなのですが、例年この集まりの日には役を逃れるために奥さんを出してくる人がいる、ということを聞いていたので、私が「ここにいる人の旦那さんで適当な人はいないのですか?」とも聞きましたが、30分過ぎても事態は一向に変わりません。
このままだといつまでたっても進展しないので、しょうがなく各役職の仕事の内容や負担についての具体的な説明を現町会長に求めてみました。すると副町会長は当地区では仕事がほとんどないことが判明、私は「何か役が回ってくるのは避けようがないので、これは早めに自分の役を決めるのが得策!」と考え、「副だったら受けても良いですよ」と発言したことから、場の雰囲気が変わったようです。
町会長を決められない場合、次の会合を設けることになりますが、地区住民から後々になっても「2006年度組長会は…」と嫌味を言われるのが分かっているのか、年配の人から適当な人を推薦する言葉が出始めました。議長がいないので、私が進行役みたいな発言を繰り返すうち、「できない」と言い訳をしていた人の中から、会計と衛生部長が決まりました。
副町会長は私が手を挙げているので、あとは町会長を決める番です。しばらく皆で本命の人にお願いすることをしていましたが、彼がまだ現役のサラリーマンで、しかも80歳を超えた年老いた母がいる、との発言をしたことから説得するのが難しくなりました。
後から分かったのですが、その方のお母さんは寝込んでいるような人ではなく、外に出歩く、本当にピンピンした人なのでした。どうやら彼のほうが何枚も“うわて”だったようです。
それでまた場は沈黙状態に戻りましたが、10分程して誰かが、「中澤さん、やってもらえないかい」と言いだして、そしてその言葉をきっかけに今度は皆が私の説得に乗りだしたのです。
今度は私が役をできない“言い訳”を言う番です。しかし私は日中も自宅で仕事をしているので昼間の会議も出られるし、勤め人のように有給休暇を申請する必要もないし…、と説得力も無く、言うべき言葉が特に見当たりません。
で、何を言ったかというと、私がこの地区に来てから16年間、いろいろ問題に対し数多くの意見を言ってきたこと、そのために地元では私のことを快く思っていない人もいるらしいこと(私の利用する自然観察のフィールドでごみ捨てが多かったので、ことあるごとに役場や警察に通報、最終的には役場により埋め立ててもらったこと、○○跡地を地区で買い取る際の不明瞭な価格決定に対する意見書を出したこと、畑を売りたい農家と交付税などの補助金を消化する役場の思惑が一致した大型道路建設に反対して撤回させたこと)などを述べました。
さらに私が日赤奉仕団に入っていないこと、交通安全協会にも入っていないこと、赤い羽根の半強制的に名前を書かせて徴収する1000円を超える募金も当初から300円だけ払っていること、お祭りには参加しているが氏子には絶対にならないことなど、この地区の普通の人が当たり前に行っていることに対し一つひとつその理由を述べて、最後に「こんな私が町会長になっても皆さん良いのですか?」と逆に訊ねたのです。
するとこの地域の傾向なのでしょうか、自分達の負担が少なければ特にこだわりを持たないというのでしょうか、あるいはブライドが無いというのか、よく分かりませんが、「いやあ、ここでは変なことがいくつもあるので、中澤さんに新風を吹かせてもらいたい」と言うのです。これではもう言い訳は通じません。
皆さんも同じような顔をされるので、私は「分かりました。でも何か問題があったら皆さんにも責任あるのですよ」と言い、協力を要請して町会長を引き受けることにしたのです。
ふと思ったことは、松本市と合併する前、ここでは特に反対運動は起こらず、「安曇野リンゴ」というブランドが使えなくなるのでは、と言う一部農家の危惧しかなかったのは、松本市を生活圏としていた地理的条件だけではなくて、人任せの考えが根付いている地域が多かったのではないか、ということでした。
でも隣の町会は昔たいそう栄えたところで、劇場などがある歓楽街だったそうです。そしてその地区は昔から文化人が多く、進歩的でしっかりした考えが根付いている、と聞いたことがあります。したがって村の傾向として「人任せ」ということではなく、あくまでもここの地区特有の体質のようです。未だに町会規約がないこともそんなことが関係しているのかも知れません。
さて、すでに会議が始まって1時間半くらい経過していましたがようやく決着がつきました。その後は新役員の紹介と挨拶があり、それから宴会となりました。私は知らなかったのですが、その宴会の場で「例年町会長は、○○神社の地区祭典委員長に就任しなければならない」ということが判明、4月末のお祭りが最初の大きな仕事であることに気付かされました。
氏子を拒否している私なので、そのことを伝えると、相手は一瞬けげんそうな顔をしましたが、「いいんじゃないの」というような反応が返ってきました。これから何があるか分からないので、お祭りのこともとりあえず気にしないことにしました。
宴会中ですが、私は祭り上げられた格好となり「中澤さん」「中澤さん」と初めて顔を見る人達からも親しく話しかけられました。私はというと「ここに16年も住んでいるのに、地域のことは全く知らないことだらけです。何か分からなかったときはよろしくお願いします」といった言葉を繰り返していたようです。(つづく)
〜みたぼら通信〜 <伊豆家の便り>
第399号 11月20日
晩秋の紅葉は、森に奥深さをもたらす。寒さに慣れないこの時期の雨はなんだか侘しい。去年、灯油が値上がりしたのをきっかけに購入したペレットストーブを使い始めた。香りは薪と変わらない。窓から火の勢いが見えて、侘しい気分がずっと和らぐ。横浜であのまま独り暮らしをしていたら、今頃どうしていただろう?と、ふと思う。うるさいと思うことも正直あるが、家族がいるのはありがたい。(光男)娘たちと車で出かけるとき歌っていることがある。「赤いリンゴに唇寄せて♪♪・・」とか、あるときは、「嫌じゃありませんか、軍隊は♪♪・・・」とか。普段、マライアキャリーが良いなんて言っているので、私はこの娘たちはいったいどこでこんな歌を覚えたのだろうと思う。親子の年齢が大きく異なるせいだろうか。赤いリンゴの並木は、飯田市にあって今が盛りだ。初冬のリンゴは色ばかりではなく、あの香りも人を和ませてくれる。(光枝)
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第400号 12月4日晴れているのに風は冷たく、どこからか雪が落ちてくる。空を見上げても雲が見えるわけではない。氷の張った水桶、羽を着ている鶏、毛皮の山羊。寒いのは私だけなのか、彼らはみな元気だ。日のあたる石段に赤とんぼが一匹。寒い夜をどこでしのいでいるのか、友達はみんないなくなった。今月末で私は、五六歳になる。若いような若くないような、何とも中途半端な年頃のように感じられる。侘しい季節は、暖かくうまいものに限る。うまい物を食べて元気に働ければよいとするか。(光男)
年賀を遠慮します、という葉書をいただくようになりました。もう12月、この頃一年間は短くなったと思います。残りの人生を分母に一年を割るからという説に説得力を感じます。
通信がついに400号になりました。来年からスタイルを変えようか、と娘達と相談しているところです。みなさまからも、ご提案くださいませ。パソコンは使い慣れることが大切だそうですが、マニュアルを読む時間が惜しくて、ついつい娘に尋ねてしまうと、「お母さんも、覚えましょう。」といわれてしまいます。そんな私ですが、農業簿記は一人で記帳できます。昔、大嫌いだった簿記の授業を思い出しては会計処理しています。思い出すといえば、英文法もよく覚えていて娘達の役に立っているようです。英語は聞いても何を言っているのかさっぱり分からないので、からきし役には立ちませんが、学校を卒業して40年経ちました。驚きです。(光枝)
◆無暖房ハウスを見てきました
11月25日、26日
無暖房ハウスをご存知ですか。
八ヶ岳の麓で、老健施設を運営しているお客様が以前から、「見にいらっしゃい。」とお声をかけてくださっていましたので、娘を望月少年自然の家に送って行く用事のついでに、思い切って寄ってみました。この老健施設が無暖房ハウスで、寒くなってきたこの時期に伺うことができて、本当によかったです。施設に入ると、穏やかな暖かさに包まれていて、何の燃料も使わずにこんなに暖かなのかと、驚かされました。
スウェーデンで開発された工法だそうです。壁の厚さが40センチ、窓のガラスにはアルゴンガスが入って3層あるいは4層で、熱交換システムの機械がありました。建設費用は、一般工法より2割高で済むとのこと、スウェーデンでは沢山建っているようですよ。暖房費がいらないので、環境にも良いですし、何より燃料費が非常に安く、100年持つそうですから、改築の際、ご検討いただく価値は充分あると思います。
お客さまの家に泊めていただくため、八ヶ岳農業実践大学校の前を夕方車で走っていると、鹿が群れで道路を横切っていきました。「鹿の湯」というお風呂に向かう途中でも鹿の群れに出会いました。本当に鹿が増えているようです。竜田揚げにするとおいしいので、食べたらいいのに、と思います。森の樹皮が食害にあって、大変なのですが、天敵がいないせいでしょう。何事も、適当なバランスこそ大切ですが、適当が難しいのですね。(光枝)●●● ●●● ●●●
第401号 12月18日
今日は実によく晴れた。天候不順が続く師走に貴重な一日、日和見は農民の大切な能力だ。毎日、日の出と日没時刻を必ず確認する。日没二時間前には餌やりを終わらせるために。鶏の餌も夏と冬では配合を変える。夏は割合あっさりした組み合わせで草を多給し、冬はカロリーをしっかり取れるようにしている。
明るい時間に玉子を産み、寒い夜にも痩せないよう身を守ってもらう。草が減ってきた秋から初冬にかけて、近所の農民が大根の葉や白菜の外葉を軽トラに乗せて運んでくれた。私達はお礼に裾物の玉子を差し上げる。そんな物々交換がここでは健在だ。
専業農家はほとんどいないので、動物を家庭用に飼っている家はひじょうに少ない。町に豚は一頭もいないので、飯田の農業高校で一年に一度学園祭で見ることができれば良いほうだ。動物を飼うと出かけることが難しいからだと思う。
戦争中は羊も飼って毛を取り、セーターを編んで家族に着せたご老人の技術は今、途絶えようとしている。中山間地の暮らしも都市とあまり変わらない。日本一高いといわれているガソリン代に、長野で一番安いらしい時間給、それでも健気に笑って暮らす。この心意気を大切にしたい。
12月に入ってノロウィルスによる食中毒が大流行している。今年のウィルスは薬品消毒があまり効かないそうだ。普段、薬品に頼って暮らしていると、いざという時、本当に危ないと思う。生産の現場で使われる薬品にも、注意しなければならないとは残念だけれど、世界で一番抗生物質を使用している日本だということを忘れずにいたい。(光男)
- 編集後記
いよいよ「2007年問題」スタートの年となりました。1947年から49年に生まれた約700万人の団塊の世代が、今年から一斉に定年退職を迎えるのです。
安曇野では2〜3年程前から団塊世代のIターンの動きが始まり、今後数年はこの動きが顕著になると予想されています。又、1971年から74年に生まれた「団塊ジュニア世代」のIターンも増えています。
マスコミ的には団塊世代の田舎暮らしを煽る傾向も見られますが、イメージばかりが先行しているのがちょっと気になります。
地域の人の暮らしや習慣等の実態を正確に伝え、地域の人とIターン者との橋渡しをする役割が求められているのだと思います。(宮)
暖冬の影響で全般的に降雪の少ない今年の信州。安曇野エリアも正月早々にまともな降雪があったほかは例年になく“白くない”日が多かったように思います。白馬や北信の豪雪エリアもほどほどには雪があるようですが、例年からすればその量は比べるべくもない様子です。
寒いのが(暑いのも)苦手だけれども、やはり信州の冬はうんと寒くて雪がなくっちゃ、なんてことを思ってしまう私は思いっきりご都合主義!?(高)
今年一年安曇野市の副区長(自治会)をつとめました。以前公民館館長を一年勤めましたのですが 少しは行政のことは知っていましたが私達は5町村の合併でできた市ですので中々平準化できず、旧町村の力関係で物事が進行しています。合理化の前に自分たちの利益優先で、町も住民もまだまだ以前のままです。一体何のための合併か、誰のための 合併か、とても不思議な感じです。
これからは市の事に私自身目を開けて監視したい気持ちです。(白)
昨年は大雪がなかったので、一昨年に屋根の塗装を行ったときに取り付けた「雪止めストッパー」というものの効果を確認できませんでした。今年は1月7日の大雪だけでしたが、その効果を確認することができました。同商品は山形県で開発・普及したものといわれ、軒近くの屋根上に網状のついたてを置いて雪がずり落ちるのを防ぐものです。
大雪の後しばらくしてから見てみると、大量の雪がストッパーにあり、屋根上部にはまったく無いので、その間完全に止められていたことが分かります。我が家の家の屋根は勾配がきついので、今までは雪庇みたいに雨どいを超えてつららができましたが、今年は全く大丈夫でした。
例年大雪のときは、テラスやカーポートにつららの根っこのかたまりが落ちることがあり、アクリル板を壊したこともありました。これで安心です。なかなかの優れもののように思います。(中)
●会報目次●
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