Iターンネットワーク 新・信州人倶楽部 |
〜第48号〜 |
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〜みたぼら通信〜第359号 2005清明2
*桜のつぼみがほころび始め、梅の花びらは蓬の小さな芽の上に舞い落ちる。日差しに暖められた、階段のブロックの石の上を蟻が列を成して歩く。トカゲが草むらに逃げ込む。陽だまりの草をむしって鶏にやる。(光男)
*梅の季節も終わり、姉と猫が、くしゃみと鼻水に苦しめられる季節がやってきた。昔、私がイネ科の植物アレルギーだった頃、猫じゃらしを手に、私を追いかけた姉の楽しそうな顔が目に浮かぶ。その頃、庭に杉でも植えなければ、と思っていたのだろうか。
そんな馬鹿らしいことを考えながら、高校の教科書と、にらめっこする今日この頃。先日、書店に辞書を買いに行った。推薦辞書をすべて揃えたら、紙袋の底が抜けるかと思うほどの重さになった。これで姉に負けない体制ができた。あとは私の頑張りがあれば、よい成績まちがい無しである。父が邪魔をしなければきっと良い成績になるだろう。自慢をするのが楽しみである。何とか保険のようにトリプルAを狙ってみる。(より夏)
*蛙が早くも鳴きだしました。
「インターネットに載せる写真を撮るから三脚を買って来て」と、いくら父に頼んでも一向に買って来てくれないので、母と一緒に電器屋に買いに行きました。4000円足らずでした。帰ってきて父に値段を伝えたところ、父は言ったのです。「えっ!そんなに安かったの?」値段も見ずに勝手に高いと思っていたようです。(はる菜)
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第360号 2005立夏
*桜の花も散り、山桜の淡い花が、新緑の中にひっそりと咲いている。桜の花とて花のときは短い。伊那谷の丘の上は桃・梨の畑が広がる。桜の後は桃・梨の花の季節。この国に生きている喜びに胸踊る季節。
自然の豊かさと裏腹に、この国の貧しい政治家は、憲法も変えたくなったらしい。「国民の安全」を守るために、地上のすべての鬼を退治したくなった。勿論、親分の腰にぶら下げているキビ団子が目当てなのだ。この国の人は鬼退治といえば「仕方が無い」と思ってしまう。親分は鬼退治の先頭に立ちたくない。「今度はお前の番だ」といっている。親分は白人よりは黒人、アメリカ人より日本人を犠牲にして鬼退治をしたい。日本国憲法を変えたいのはアメリカである。
大量破壊兵器は無かった。大統領に責任は無いとするアメリカの結論は、アメリカが自己中心的な国家であることを証明している。戦争は攻めて行く側の作り話で始まることが多い。ベトナム戦争のトンキン湾事件もアメリカの作り話であった。何十年も経ってから、「あれは間違いでした」といわれても、死んでしまった人はどうすればいいのか。取り返しの付かない事態を招く決断が、「ウソの情報・故意に作られた情報」によるものであっても、だれも責任を取らないし、取れないから、「紛争の解決に武力を用いない」決断をしたはずなのに、なんて親分に弱いのか、なんと弱腰なのか。
郵政の民営化も、郵貯をアメリカのはげ鷹の餌にするのが目的らしく、アメリカの要求で民営化をいっている。この国は何でもアメリカの要求で動いてしまう。子供の学力よりも大人の知性のほうが心配です。(光男)
*少しずつ春も終わりに近づき、新緑のすがすがしい季節。ゴールデン・ウィークの予定も決まらぬまま、早くも月末を迎えている。映画を観るもいい、ぶらぶらと飯田の町中で買い物をするもよし、すべてはお財布の中身次第。そう、今月からお給料が出るのだ。しかし、大問題が発生。私は、預金の下ろし方を知らない。そういえば、今までは、貯めるといっても、使わなかったお年玉を貯金する程度で、下ろしたことなど無かった。どうしよう…、これではお金がいくらあっても使えない。母に聞くしかないが、今までどうして下ろそうと思わなかったのか、不思議で仕方ない。(より夏)●●● ●●● ●●●
第361号 2005立夏2
★季節は春よりも初夏に近づき、汗ばむ陽気の日もちらほらと。先日、母と某レストランで昼食をとっていたときのこと。私たちのそばの席に座ってカレーを食べている何の変哲も無い三十代前後の男性が一人。最初は気にも留めていなかったが、私はあることに気が付いた。何とその人、丁寧にご飯とカレーをスプーンに半分ずつ乗せて口に運んでいるのだ。さっぱり意味はわからないが、とにかくハシとスプーンを駆使して一口一口スプーンの上にはルーと白いご飯が半分ずつ。じろじろ見ては失礼とは思いつつ、じっと見ずにはいられない。時間も人の3倍は掛かっているはずなのに、いつ見てもスプーンの上にはご飯とルーが半分ずつ。口に入ってしまえば混ざってしまうはずなのに、さっぱり理解不能。
昔、テレビで、グルメ本を多数出しているという人が、「蕎麦は噛まずに喉越しを味わうのだよ」、などと言っていたが、私は、「噛まなかったら、味なんて分からないではないか。」と首をかしげてしまった。私にとって蕎麦の味は、舌で感じるものであって、喉で感じるものではないが、そのグルメ(?)な人にとっては喉で感じるものなのだろう。だとすると、つゆは何のためにあるのだろう? 喉越しだけでいいのなら、水につけて食べればいいのだ。だが、私の知っている蕎麦にはつゆが付いている。きっと、私と同じように蕎麦を喉で味わわない人のために付いているのだろう。それを考えると、レストランで見たカレーの人も、その人にとってカレーはスプーンにご飯とルーを半分ずつ乗せて食べる食べ物なのだろう。私たちにとってはおかしな食べ方でも、その人にとっては、いたって普通ということだ。どうやら、そういうことは世の中にたくさんあるらしい。
そして私は考える。「世の中にはいろんな人がいるんだなー。」 (より夏)
★新しい山羊が来た。やせた山羊で目と鼻の間が長く、ブルテリアの顔を山羊に貼り付けた様な、なんとも間延びした顔をしている。やせて細いのだが、足は丈夫、マラソン選手のような体型である。秋までに太らせて… うんと太ってもらって… 子供を産んでもらって、山羊のチーズを作ろう。(はる菜)
★鉄道の事故のニュースが毎日報道されている。民営化以来、激しい競争をするような制度を作ってきた社会に責任はないのか。新幹線の建設には熱心だが、安全には関心が無かったのだろうか。新幹線の建設費の一部を安全の為に使っていたなら・・・税金を使う方向を間違えているのだ。「その福利は国民がこれを享受する」ようにはなっていない。(光男)
第362号 2005小満
相変わらず我が家の面々は元気に過ごしています。私はというと、毎日授業をうけ、締め切りに合わせてレポートを書く日々です。国語や現代社会などの文系教科は何とかなるのですが、大問題が理科。とにかく化学式が覚えられない。私が思うに、これはきっと好き嫌いの問題なのだ。
そこで、理科を好きになる方法をじっと考えてみる。授業はそれなりに面白いし、わからない訳ではないのだが、国語の教科書と理科の教科書が置いてあったら、自然に手が伸びるのは絶対に国語なのだ。友達は逆で、「このときの作者の気持ちは?なんて聞かれたって、分かるわけない」と言い張る。その点、理科は、答えがはっきりしていて好きなのだそうだ。これが文系と理系の差なのか。しょうがないといえばしょうがないが、理科のレポートに取り組むたび、うんざりした気分になるのはどうにかしたい。そこで、私は画期的(?)な方法を思いついた。理科を一時間勉強したら、二時間ゲームをしていいことにしたのだ。逆に、勉強しなかったらゲームはなし。私はいたって現金な人間らしく、お蔭で予習や復習をサボることもなくなってきた。(より夏)
みたぼら通信に楽しい返信をいただきましたので、みなさまにご紹介申し上げます。(光枝)
「スプーン半々のカレーに大笑い」
普通に食べてさえ時々、口の端からこぼしてズボンを汚しているオジサンには、とてもできぬ技!でも、人は必ずなにか、その人なりのこだわりを持っているもの、しかも、自分が正当であるというその人なりの理由と共に。たいてい他の人は理解に苦しむか笑いころげることになる。
(例)ご存知のとおり、オジサンは禿げることが人間的成長のあかしと思ってる。だって「禿」は優秀の「秀」とほんのちょびっとの違いだろ。君たちのご両親も遠からずツルッ禿げ… だから、あらかじめ名前に“光”と入れているのさ。つまり、世の中、たいていは“へんな奴”ばかりなのですが、問題は、そのことを自覚せず、みんな自分は普通(とか善良とか、正当とか…)」と思っていることと外観までは峻別できぬことです。
K.Oさまより
そして、2冊の本を頂戴しました。そのうちの1冊を読んでいます。
題して「正義を疑え!」山口意友著ちくま文庫700円
第363号 2005芒種
春も過ぎ、この時期独特の暑さの訪れを待たぬまま、季節は梅雨へと移り変わろうとしている。
車で出かけた帰り、ふと、私たち姉妹がまだ小さく、金魚の何とかのように父の後を付きまとっていた頃のことを思い出した。その頃、私たちの間でちょっとした遊びがはやっていた。それは父と車で出かけたときに、決まって行われる遊びで、だいぶ長い間、私たちの退屈しのぎに役立ってくれた。その遊びは、「○○スーパーから××さんの家までの間に、いったい何台の車とすれ違うでしょうか?」というのを当てるもので、これが意外と奥が深い。その道の交通量と、時間帯変化なども考慮に入れなければならない。勿論、子供の私たちにそんな深い読みができるはずも無いが、勘と無い知恵を働かせて考えたのを覚えている。そのほかにも応用編で、「すれ違う車のうち、長野ナンバーは何台か?」や、「赤い車は?」などがある。そしてムキになった私が、「100円かける!!」などと馬鹿なことを言い出すが、私が勝者に100円を払った覚えは無い。
夏になると、自然と賞品はアイスクリームに代わる。この方が私たちは好きだった。だが、滅多に当たらないので、実際にアイスが私たちの口に入ったことは、数えるほどしかなかった。この遊びは、私たちが父に付きまとうのをやめた頃から自然消滅的に消えていった。この、たいしてお金の掛からない遊びは、親にも気に入られていたらしいが、当時の私たちにそんなことなど知るよしも無かった。そして今年も夏がやってくる。(より夏)
台風がやってきそうだ。まだ、6月だというのに。今年の5月は、低温続きで野菜の生育は遅れぎみだ。毎年、天候が不順で農家はうろうろしている。先日、パイプハウスメーカーからカタログが送られてきた。イチゴとトマト、蔬菜の水耕栽培システムにローン付だ。この頃、スーパーの野菜売り場で気づくのは、妙にすっきりした野菜は水耕栽培が多いということだ。仕入れ側、生産者ともに計画的に営業できる利点は、ひじょうに大きなものがあるだろうと思う。きょう6月5日、ついに農民が主催する直売所で、マルハナバチ受粉とわざわざラベルを貼ったトマトを買った。どんな味なんだろうと興味津々、さらにラベルを見ると、水耕栽培だった。こんな狭い谷あいの、少しの消費者しかいない地域でも、水耕栽培なのか。大地の味はこのまま、遠ざかっていくのだろうか、人間の食べ物として大丈夫なのか。(光枝)
第364号 2005夏至
蛍の飛び交う季節となり、そろそろ夏休みの計画が頭の隅をちらつき始める。旅行に行くほどの暇はないが、それでも夏休みと聞いてわくわくするのは私だけだろうか。
夏は、休暇の季節ではなく、我が家では戦いの季節である。先日からひよこの世話を任され、何かとひよこ小屋に出入りしている私は、あるショッキングな光景に出くわすことになった。その日は、いつにもまして暑さの厳しい日だった。私が水をやろうと小屋に入ると、ひよこの入っている囲いのふちから何かロープのようなものが覗いている。いやーな予感がする。こんなことが前にもあったような?見たくない気持ちをちょっと脇にのけ、覗いてみると60センチはあろうかと言う蛇が、ひよこを口にくわえているではないか。あわてて近くで仕事をしていた姉を呼び、手近にあった角材で蛇をたたくが、何と言っても囲いの中には200羽のひよこがいるのだ。ひよこと蛇を叩き分けるのは至難の業。何とか喉(首か肩かもしれない)を押さえつけ、口を開けたところで、ひよこを引きずり出し安全なところに移動させる。自力で立ってはいるものの、ふわふわとしていた毛は蛇のつばでベットリとなり、ポマードを塗りたくったようだ。そこに火バサミを持った父が登場、しかし、蛇の頭をはさんで持ち上げたのは、父ではなく私だ。青大将で毒は無いと言っても、ずっしりと重いそれが、うねうねと火バサミに体を巻きつかせてくる。はっきり言ってキモチワルイ。「放すな!」と父、だが限界である。ボト、といって落ちた蛇は、早々に小屋を囲っている網の間を抜けて逃走。「何やっているのよ!」と叫ぶ姉。私の我慢も限界、「そんなに言うなら自分でやればいいじゃない!」
この一連の騒動の結果、小屋の網はさらに目の細かいものに張り替えられ、後日、父に発見された蛇は処分された。これで一件落着、と思いきや、母がポツリと「そういえば、去年もこんなこと無かった?」新しい網をすり抜けるスリムな蛇が現れないことを祈るばかりである。(より夏)
〜おいしい味を、すこし28〜
中澤 滋
今年になってから凝っているパンチェッタの作り方を紹介します。パンチェッタはイタリアの生で食べるベーコンのことで、市販のものはとても塩辛いのですが、手作りではとても優しい味で、お肉の味をじっくり楽しめます。1度作ったところなかなか良くて、次にお客さんに合わせて2回作り、いずれも好評で現在5作目に入っています。これなら皆さんに紹介できると思います。
◆◆◆パンチェッタ◆◆◆
大体2週間くらい脱水シートで熟成させますが、塩漬けだけでなくてハーブをまぶすのがなかなか美味しいです。
<材料>
豚ばら肉塊 500 グラム
塩、コショウ、ハーブ少々
ばら肉は黒豚や質の良いものがいいです。
<作り方>
1. 豚ばら肉はビニール袋に入れて塩大さじ1を振り、全体に良くまぶします。空気を抜き口を閉じて、一晩冷蔵庫に置きます。
2. 翌日、コショウ少々、小さくちぎったドライハーブ(ローリエ1枚、タイム、ローズマリー、セージなど、合わせて大さじ1)をまぶし、脱水シートに包んで冷蔵庫へ入れます。
ローリエが多すぎると、少し生臭みを感じますので、苦手な方はお好きなハーブをお使いください。
3. 翌日、脱水シートを取り換え、後は4日ごとに脱水シートを取り換えながら冷蔵庫で寝かせ、約2週間後に出来上がりです。
出来上がったら、まず良く切れる包丁で薄切りにスライスして生で食べてみてください。その柔らかな風味とお肉の味わいは、市販のものとは全然別物です。人数があれば半分くらいすぐに無くなってしまいます。ベーコンエッグ用にスライスして冷凍、あるいは賽の目切りにして冷凍保存して、煮込み料理の味出しにも使えます。ぜひお試しあれ。
- 編集後記
信州にも一応梅雨はありますが、雨量も暑さもそれほどではなく、比較的過ごしやすい気候です。今年は特に雨が少なく、安曇野では平年の1割にも満たない極端な少雨となっています。畑は乾き切っており、このまま雨が降らないと農作物への影響も懸念されています。大雨も困りますが、適度の恵みの雨を期待したいですね。(宮)
梅雨の季節です。生れ故郷の和歌山や穂高へ来る直前の生活拠点だった大阪では、この時期になると雨が降っていなくてもジメッとした空気が充満し、気温の高さよりも湿気の多さに閉口したものでした。暑さで汗をかくのではなく、水蒸気が肌に触れて結露が発生するみたいな……。穂高でも「今日はジメジメして嫌だなぁ」と思った記憶が全くゼロとは言えないまでも、和歌山あたりに比べれば十分快適な範疇だよ、というのが私の実感です。皆さんお住まいの地域のジメジメ感はいかがな様子ですか?(高)
今年もカッコウの声が縄張りを守るためか 朝早くから啼いて私たちに初夏の訪れを知らせてくれています。ところで声の割には姿は鳩ぐらいで、電線に止まった姿はいま一つです。裏の松林では 雉が朝甲高い声を轟かせています。我が家の玄関に2年ぶりにツバメがやってきて今、卵をセッセとあたためています。何羽孵るかとても楽しみです。(白)6月の初めの頃、私の家の前をツバメ10羽以上がすごい勢いで何かを追いかけて飛んでいきました。とっさに「タカかな?」と思ったのですが、よく見ると尾羽が太いので、カッコウだと認識、梓川の河原にあるリンゴ畑の向こうまで追いかけていきました。
カッコウは托卵するので嫌われ者ですが、ツバメは何でカッコウのことが分かるのか少し不思議です。カッコウが巣の近くにきただけでは、猛禽類でもないので巣の親鳥が単に追い払うだけだと思いますが、ツバメもカッコウに托卵されるのでしょうか? 群で追いかけるというこの執拗さは、きっとツバメのDNAに何か組み込まれているのでしょう。(中)
●会報目次●
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