Iターンネットワーク 新・信州人倶楽部 |
〜第45号〜 |
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〜北海道こだわり旅〜
長谷川 慶之夜の首都高は混んでいる。まだ時間に余裕はある。現在9:00だ。明朝7:00までに青森港のフェリー埠頭につければよい。やがて渋滞がほつれ少しずつ車が流れ出した。私の車はETC(自動料金支払いシステム)が装着されているのでわざわざ料金所でとめる手間がはぶける。おかげで車内もかつては領収書でちらかっていたがそれもなくなった。有難い装備である。
東北自動車道では可能な限り飛ばさず80キロから100キロで流すようにしている。混雑した道路では使用不可能だが空いている道路でならクルーズコントロール(自動定速走行装置)にたより、のんびり走る。私は飛ばしやと思われがちだが、根が生来ぐずで、のんびりやである。会社など日常の生活ではたえず、時間とお金との追いかけっこの中にいるので正直疲れ果てている。せめて車に乗っている時にはのんびりと走りたいものである。
埼玉県の川口から栃木県の宇都宮までがまず遠い。それをクリアすると今度は福島までが遠い。自分でもなんでこんな忍耐を強いるのか、疑問に思うことがある。でも96年の夏から毎年夏は車で北海道へ行っているがこれまで途中でやめたことはない。
朝7:00頃青森に着く。ここまでの燃費は14.3km/lとまあまあ。フェリーへの乗船手続きをするため、窓口へ車検証などを持って向かう。
ここの混雑がまたすごい。お盆ということもあり長蛇の列を人が作っていて非常にゆっくりとしたスピードで進む。のんびりやの私でも、船に乗り遅れるのではないかといらいらしてしまう。
ようやく手続きを終え、車を船に載せるとほっと一息。カーナビで車の位置が海上にあるのが面白い。
客室に入ると2等船室がまた沢山の人であふれかえっている。当然特等、1等と上のクラスがあるが、こちらは満員。それでもなんとか2等船室に身の置き所を確保できた。徹夜で走ってきたこともあってかすぐに寝込んでしまった。
函館港接岸の船内放送で目をさます。甲板へ出ると函館山が右手に出迎えてくれる。車に戻り、待機する。やがて船の前方が少しずつ開き、光が差し込んでくる。やった。やっと北海道だ。天気も上々。
国道227号線から5号線に入り北上する。函館より60Kmほど北上したところからさらに落部(おとしべ)の交差点を山間に10kmほど入ったところに行きつけの旅館がある。その名を銀婚湯旅館という。大正天皇の銀婚式の日に掘り当てたことに名前の由来があるそうだ。
とても気分の落ち着く宿で毎年夏はここにとまる。支配人や女将さんがとてもいい人たちで、その性格を宿が反映している。落部川や庭のせせらぎの音が耳にやさしい。みなさんにもお勧めの旅館だ。北海道では非常に知名度が高く土日や休前日にはすぐに予約が一杯になってしまうそうで、早めの予約をされたほうがよい。日本秘湯を守る会の宿とかで、一泊するとスタンプ帳に一つハンコを押してくれる。
ちなみに日本秘湯を守る会の宿は現在、全国に156軒あるそうで、このハンコが10個貯まると一泊無料で泊めてもらえることになっている。私もいくどかその制度にお世話になったことがある。
2日目は再度国道5号線に出て道東方面をめざす。豊浦あたりから国道230号線に入り札幌方面へ向かう。札幌からは国道274号線に入る札幌の市街地から一時間も走れば風景もより北海道らしくなってくる。それにしても北海道の人はみんな飛ばす。一般道というのに軽自動車にすら煽られ追い抜かれる始末。なにをそんなに生き急いでいるのか。私がグズ過ぎるのか。
夕張を過ぎ、日勝峠を越え鹿追町をめざす。今晩の宿は然別峡にある菅野温泉という旅館。道は途中から砂利道になり、途中で鹿がみられることもあるが場合によっては飛び出してくることにもなり、怖い。宿が道道然別峡線のどんづまりにある。この宿も日本秘湯を守る会の宿。7種類の温泉がある。古くは湯治場として栄えたそうだ。そんな歴史を感じさせる宿である。
3日目は最終目的地の知床半島の羅臼の町をめざす。菅野温泉からいったん鹿追町の市街地までもどり再度、国道274号線で東に向かう。直線道路が多くなり、いかにも北海道へやってきたという感じが強くなる。やがて道路は足寄の町あたりで国道241号線になる。中標津の街を抜けると標津の街に出る国道244号線を海沿いに走り知床半島に入ると羅臼の街はもうすぐだ。
羅臼では知床観光ホテルを定宿にしている。あまりお勧めではないが料金が一泊素泊まりでオンシーズン6450円とまあまあ。数年前に初めて羅臼を訪ねたのが縁で今でも行くたびに市街地の知床倶楽部というインターネットカフェに顔を出す。羅臼の情報をいろいろとおしえてくれる。どちらかというと地味な街だがどこか懐かしいというか心がほっとする不思議な街である。
羅臼で2、3日滞在してまたもと来た道を内地、本州へ向けて帰る。
これが毎年恒例の私の夏休み北海道こだわりの旅です。でも最近はさすがに体力が落ちてきたからか来年は行けるかどうか?
〜みたぼら通信〜第347号 2004降霜
台風の後は、地震の発生、私達の暮らしは何という薄氷の上にあることか。平凡な毎日のしみじみとした有難さに、思い至るこの秋です。被災は致し方ないとしても、その後の生活再建だけでもしやすい社会にしたいと、強く願わずにはいられません。
毎日意欲的に働いてくれる娘が、農文協の「職農教育」という雑誌に寄稿した文章を掲載します。ご感想をお聞かせくださると嬉しいです。(光枝)
「自分で飼ったヤギ肉は本当においしい」長野県阿南町 伊豆はる菜
私、五月で16歳。春から、通信高校生になりました。それまでの6年間、小4から中学を卒業するまでずっと家にいて、家の仕事を手伝いながらヤギを飼い、読書をして暮らしていました。我が家の仕事は、ニワトリを飼って玉子を生産することです。
ヤギは最初、父が飼いたくてご近所の方からザーネン種を譲ってもらいました。大きくて、子どもの私には怖くて小屋の外に出せませんでした。お母さんヤギを1頭飼い、春に出産すると仔ヤギを市場のある7月まで育てて出荷。けれども、ザーネン種は角切りしたあと、破傷風になって死んだり、蚊が媒介してかかる腰マヒになりやすかつたりして、悲しいことが続きました。それで、母が全国ヤギサミットに参加したさいに見たシバヤギを飼うことになり、今にいたっています。
シバヤギは、ラブラドール犬くらいの大きさの小型のヤギです。ザーネン種とちがって、いつでもお産ができる、乳搾りはしない、腰マヒになりにくく飼いやすいといった特徴があります。(つづく)●●● ●●● ●●●
第348号 2004立冬
私と妹は、小学生のころからヤギのお産婆さんをしていました。ヤギは、メスが発情すると独特な声で鳴いて、お父さんヤギに近づきます。妊娠期間が150日ありますので、寒いときに産まれないように計算して交尾させます。鳴き声はうるさいくらいで、夜も声がかれるほど鳴きます。このときばかりは、「近所に家が無くてよかった」といつも思います。
妊娠しても、初めのころはなにも変わったようすはありませんが、春が近づくと大きなお腹になります。そのくせ脚は短いので、その格好にいつも笑ってしまいます。難産だったことは一度もありません。
今年の春は、2頭のお母さんヤギから7頭の仔ヤギが産まれました。朝晩まだ凍るときでしたから、夜はダンボールに入れ、台所のホットカーペットの上で過ごさせました。お乳が足りないので、人間の赤ちゃん用ミルクを哺乳。途中、何度か小さく産まれたメスが死んでしまうかと心配しましたが、無事全部大きくなりました。エサやりのときなど、走って寄ってきたり、何かほしいとき私の服をかんだりしますので、かわいくてうれしくなります。
7頭のうち6頭は、果樹園や老健施設に引き取られていきました。一年分のエサ代は十分間にあったと思います。
さて、残った1頭ですが、これは冬の終わりまで飼って、食べてしまうと思います。年を取ってお産ができなくなったときも食べてしまいます。「かわいがって育てたヤギを食べてしまうなんてひどい!」と思う人もいるでしょう。私たちも小さいときは、ヤギは市場に出荷するだけで、食べるなんて思ってもいませんでした。
小学生のとき、母と妹の3人で農協のバスに乗って根羽村の仔ヤギ市場を見学に行ったことがあります。このとき、昼食のバーベキューはヤギ肉でした。肉を焼いていると、つながれているヤギがひときわ大きな声で鳴くので、みんなが笑いました。ヤギ部会のおじいさんが、「焼いて食っているな、と文句を言っているんだに」と言ったので何だかおかしかったのです。そのとき初めて、ヤギを肉にして食べているんだな、と気づいたように思います。(つづく)●●● ●●● ●●●
第349号 2004小雪
とっぷりと暗くなった空を、鴨がびゅんびゅんと羽音を立て、洞の上を飛んでいく。昼間はみたぼらの池で、夜は天竜川で過ごすのか、二十羽ほどが連なって飛ぶ。
台風に地震、災害続きの秋、1万1300人が軍事演習に参加した。ミサイルの発射訓練などで何百億円もの税金を使うのであろう。新潟始め自衛隊が行くべきところは沢山ある。家の中が泥だらけになっている、水害の後片付けは老人でなくとも大変である。鉄砲をスコップに持ち替えて助けに行くべきである。火事を横目に訓練をする消防が許されないように、災害で困っている国民を放置してアメリカ軍と演習はないだろう。自衛隊にとって、アメリカは国民より大切なのであり、「たかが選手と言った」オーナーがいたが、「たかが国民」なのである。
<通信348のつづき>
ヤギは車酔いして死なないよう、前の晩からエサを与えていません。九州や沖縄まで、飲まず食わずでああやってぎゅうぎゅう詰めになって車に載せられて行くのだな、新しいところで慣れるまで大変だろうなと思いました。
シバヤギに代えて冬が終わるころ、母が「家で食べよう」と言いました。そのとき「それでもいいよ」と自然に思いました。生きている間はできるだけやさしく飼って、大きくなったら家で食べる。ヤギは遠くまで行く苦労もないし…。
母は、小谷村で初めて飼ったヤギを鼓張症で死なせてしまったとき、勉強のため父と解体したことがあるそうです。「首が無くなったときに、肉に変わる」と言っています。今は父と母が車に載せて飯田のト殺場まで行くので、私はヤギの最後を見たことはありません。塊の肉を枝肉というのですが、母が引き取って町の肉屋さんが500gずつにしてくれたのを、冷凍会社に預けています。見ないから抵抗がないのかしら。誰でも死ぬところを見ないから肉を食べられるのかしら。ちょっとよくわかりませんけれど…。
自分の家で飼ったヤギの肉は本当においしいです。草が、肉になって私たちの口に入る、それって不思議でもあり自然でもある、そんな感じがします。第350号 2004大雪
村はずれの国道脇に桜の並木があり、そのうちの二本に花が咲いている。植物も狂ってしまうような気候が続いている。やがて花は散り、本当の冬がやってくる。
☆山城巴さんの訃報の記事が新聞に載っていた。戦後まもなく映画にもなった「荷車の歌」などの作者で、十年程前にお会いしたことがある。今から二十年ほど前に山城さんの本を夢中に読んだ、全部で二十巻。彼女の亭主は戦争中に監獄で死んだ。学ぶところの多い作家であった。この人がいなかったら、われらはここに居なかったかも知れない。山城さんの本が縁でわれらは結婚することになってしまったのである。
社会の底辺を生きる人たちを見詰めて、励ます人だった。負けた者にしか得られない真実、気づかない事実がある。それを「敗者の遺産」という言葉にしていた。司馬遷の「史記」、鴨長明の「方丈記」も敗れた者の記録である。勝った者はそれが何であったのか考える必要がない。負けた者は、なぜ負けたのか、痛みを伴った思考を強いられ、時に美しく結晶する。
☆サルモネラ菌の検査を受けた。鶏小屋にはサルモネラ菌がいると以前から聞いていた。だから平場飼の玉子を食べないという人の話を聞いたこともある。保健所の職員が鶏のお尻を綿棒でなでて菌を調べる。作業の後、家の中で話を伺うと、「サルモネラ菌は弱い菌で、自然の中では直ぐに死滅してしまう、だから平場飼の鶏舎では出ない。サルモネラ菌が出るのは、いつも暖かなウインドレスの近代的な鶏舎で、一度入るといくら消毒しても駆逐できない。サルモネラ菌を食べてしまったときでも、正露丸を飲めば直ってしまう。O-157のように毒素を出すわけではないので、そんなに心配は要らない。」との説明であった。後日、検査の結果もサルモネラ菌は見出されなかった。
☆名古屋コーチンを春から育て、肉にしました。200日を越えて育てたので、しっかりした肉になりました。こんなにおいしい鶏肉は食べたことが無いと、あれこれ食べている人に言っていただきました。値段は少し高めの一羽4000円です。丸ごと、肉をはずしたもの、両方用意してあります。
レストランなどの味の紹介を続けようと思ったのですが、あいにくこの地域で本当においしい店はごくわずかしかないことに気付かされました。“とりあえず”、のお店はありますが、わざわざ出かける店はほとんどなくて、そうなると「自分たちで作る料理が一番!」、ということになってしまいました。そこで家庭で料理を作るときに私たちが実践していることなどを中心に、お休みしていたこのコーナーを再開します。
◆◆◆基本の調味料◆◆◆
いままで紹介したこととダブるものが少しありますが、今でも気に入っている調味料を紹介します。
しょう油は2001年4月に紹介した梓川村の上嶋醤油(0263-78-2566)の天然醸造しょう油、1.8リットル1,340円を今でも愛用していますが、最近では農協に卸していることから、ひょんなところでもお目にかかります。今年になり、松川村国道147沿いのJA「アルプス一番」という直売所でも置いていました。ジャスコ三郷店、アップルランド・デリシア梓川店、などでも購入できます。薄口しょう油なのですが、塩味が先に来るようなものではなくて、香りがよいことから、刺身から煮物まで我が家では万能選手です。このしょう油と後述の千鳥酢を4対6位に混ぜると、簡単でとてもおいしい和風ドレッシングとなります。
味噌は善光寺門前味噌で有名な「すや亀」をひいきにしていたのですが、1年ほど前でしょうか、味噌ソフトアイスクリームの味が突然落ちたことと、お手軽なインスタントみそ汁、それもずいぶん高いものでおいしくなくてガッカリしたことなどあったため、同社の姿勢に疑問を感じることとなり今は利用していないのです。その代わりに見つけたのが松本の丸正醸造の味噌、「信州蔵出し」というものです。少し甘めですが風味が良く、とても美味しくて、表示にあるように本当に「煮返してもおいしい」味噌です。アップルランド・デリシア梓川店で1キロ785円で売っています。県外の親戚に行くときには、この味噌は必ず持っていくようになりました。ところで最近、ある親戚のところで「とても高い信州味噌を桶で買ったけれども、塩辛くて風味もなくてがっかりだった」という話を聞かされました。戸別訪問で「信州味噌」ブランドで儲けている業者がいるようです。
さて、お酢ですが、2002年の会報29号で少し触れましたが、京都の村山醸酢の「千鳥酢」1018円を今でも使っていて、なくなるとアイシティーまでいって購入しています。そういえば最近アイシティーも食品では購入するものがなくて、この千鳥酢だけとなりました。このお酢は、そのまま嗅ぐと結構きつそうなのですが、食べてみるととてもまろやかなお酢でお奨めです。以前ある店で、「玉姫酢」というものを勧められて使ったことがありますが、これは香りこそツンと来ませんが、お酢の味がしゃしゃり出るようで、まろやかさもなくて私たちの料理には合いませんでした。その点千鳥酢は何にでも合う、柔らかで上品、そして何よりも素材の味・香りを壊さないのでとても重宝しています。
さて次の調味料はみりんですが、今も養命酒が作る「家醸本みりん」を使っています。わりとあっさりとした感じですが、でもきちんとした味とこく、まろやかさで、三河みりんのような独特のあくと臭み(好きな人はこれがたまらないのかもしれませんが…)がなく、どんな料理にでも使えます。また、松本でも購入でき、通信販売を利用する必要もないので気に入っています。松本では4軒ほどの酒屋さんに置いてあるようですが、私は藤森病院南200メートルの中島酒店で購入しています。養命酒の会社に問い合わせをして販売店を教えてもらったので、皆さんの近くにも扱っているお店があると思います。取扱店は会社に問い合わせ、ぜひ試してください。これはなかなか良いものです。
- 編集後記
リビングの窓から常念岳が美しく見えるのですが、今年は暖冬で雪も少なめのようです。安曇野の冬は訪れる人も少なく冷たい空気に包まれて、夏の賑わいが嘘のように静寂を取り戻します。そして朝焼けで真っ赤に染まった北アルプスを目にするたび、安曇野の自然の美しさと、そこに住める喜びを実感します。(宮)
冬は日本酒の季節。いえ、年がら年じゅう日本酒大好き人間の私なら「冬も…」と言うべきかも? 普段は比較的手に入りやすい新潟の純米酒か、出身地の和歌山の地酒を愛飲している日々ですが、全国にはまだまだ私の知らない名酒が沢山……。「これは美味いよ」という情報をお持ちの方、ぜひご一報を(高)
今年は事務局の一員としてほとんど参加出来なかった事を反省しています。7月末に娘(33歳)がくも膜下出血で一月余り入院し、私達も心身共に疲れきってしまいました。お陰さまで後遺症もなく元気になり、ホッとしております。平凡な日々の暮らしが、いかに素晴らしく幸せな事かを痛感致しました。そして一日一日を大切に過ごさなければと思いました。(白)
冬はまきストーブで暖を、という方が増えて、私の家の近くでも2軒で使っています。でも犬の散歩の時など、結構煙が気になるときがあります。米国における規制は厳しいようですが、日本では規制がないため、禁止された野焼き・家庭用焼却炉と同じような煙を出す家もあります。環境に優しいとPRされるまきストーブの利用が増えると、「ちょっとした公害問題になりそう(笑)」と、そんな気がしてしまいます。(中)
●会報目次●
●みんなで発信●●おたより紹介●●今までの活動の紹介●●新・信州人倶楽部に興味のある方へ●
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