Iターンネットワーク 新・信州人倶楽部 |
〜第43号〜 |
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〜みたぼら通信〜337 2004芒種2
裏の梅の木の下草を刈り取り、梅もぎの準備をした。草の中にふきが入っていると良い香りがする。香りは食欲を刺激して、ふきを先に収穫。花のじきの気候が変だったのか、手入れが悪かったのか、あまり実がついていない。雨の間を縫って梅もぎをする。以前は腰にカゴをつけて採っていたのだが、近頃は地面にシートを広げ、その上に落とす。機械で木を揺すって落とすのも現れた。進化なのか無精なのか分らない。
アメリカの犬のまんがスヌーピーというのを、時々目にすることがあった。時々どじをする飼い主チャーリーブラウンと小屋の上で寝ているスヌーピー。Tシャツやコップの図柄に良く使われていた。漫画そのものはあまり見たことが無い。
「スヌーピーの心理学」と言う本を図書館から借りてきた。スヌーピーが小屋の上で寝ているのは閉所恐怖症のせいで、屋根の上が好きなわけではない。図書館から借りてきた本を女房殿が先に読み大笑いしている。どうしたのかと訪ねると「人間には衣食住のほかにもう一つ非難する相手が必要なんだってさ」。女房殿は朝から晩まで非難する相手に沢山の非難を浴びせかける日々をすごしている。私が読んでなかなか面白いので娘に勧めてみた。「この本おもしろいぞ、心理学の本なんだ」私は目次を声に出して読んだ「何でも人のせいにする人、自分でないものになりたい人、思い込みが強い人、人をあやつる人、あやつられる人、いつも自分に自信が無い人、自分中心でまわりが見えない人、不機嫌で怒りっぽい人、優等生すぎる人、どこかずれている人」隣で聞いていた娘が一言「そんなのにハイっていう奴いるわけないじゃん」
みんなの中にそんな性格が少しずつあって、スヌーピーの登場人物はそれを良くあらわしている。自分に自信のないチャーリーブラウン、夢ばかり見ているスヌーピー、毛布を手放せないライナス、口の悪いルーシー。それぞれの場面の漫画つきで楽しませてくれる面白い本であった。
子山羊が5つ、それぞれの人に引き取られていった。元気に暮らしているかしら、心配をする女房殿。あっちもこっちも我が家より立派な山羊小屋らしい。そんな話しを聞くと、女房殿は直ぐに我が家の山羊小屋をもっと立派なものにと言い出す。
「そんなら、我らが山羊小屋にいって、ここを山羊にゆずったら」
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338号 2004夏至
雑草はたくましいが、いつも人が踏んでいるところは、雑草も生えない。時々ぐらいなら生えてくる。この時期、草の伸びは目覚しく草刈が追いつかないので、洞のあちこちが草だらけである。土手や道だけでなく畑も草だらけ…。畑は耕さない主義で、苗を植える穴だけを空け、その回りの草だけを刈り取る。苗の周りに山羊のうんこや鶏糞を撒く。成績?家庭菜園ならこれで大丈夫だと女房殿は言っている。こぼれた種から出たイチゴに実がついた、自然な甘い実であった。
房スグリという赤い小さな実を頂いた。イクラの玉子のような赤い小さな粒粒。そのまま食べると酸っぱくて食べられない。ぶどうのような形をしているので、ジャムにするには房から実をはずさなくてはいけない。「このちいさな粒粒を房からはずすのはしんどいなあ」と頭を悩ます。庭に野外用のコンロを持ち出し、小枝を燃やしジャム作りに挑戦。大きな鍋でとろとろと煮る、時々のぞいてはしゃもじでかき混ぜる。我が家の鍋では遅々として煮つまらない。一日煮てもジャムには程遠い、こんなことでは何日かかるか分らない。加工所に持ち込み立派なジャムを作った。
物干しのパイプの穴に住んでいる蛙。目線の先に我らの暮らしがある。何か言いたいことがあるような口元、きっと「少しはかたずケロ」と女房殿のように言うのだろう…。●●● ●●● ●●●
339 2004小暑
蛍が田圃の上を飛んでいる。蛍が光るのはほんの一時。花が咲くのもほんの一時。日増しに大きくなるトマト、胡瓜、ズッキーニ。ソフトボールほどになったスイカ。知らない間に大きくなった茄子を収穫して食べる。
机の目の前に一枚の葉書がはってある。1年ほど前の4月、遠くの知人から届いた訃報である。私より若い人の訃報は精神に応える。未だ咲いていると思った花が気づいたら散っていたような、期待をして見に行った展覧会が既に終わっていたような…。私の最初の知人の訃報は私が20才の時であった。私は度々Y君の病室へ行っていたのに、彼の人生の目の前に死があるとは思えなかった。20才の若者と死の距離は永遠の離があり、まさか直ぐそこにあるとは思えなかった。鬱々とする時「彼よりもましだ」と自分に言い聞かせてきた。30数年の時間が過ぎY君のことを覚えているのは私だけかもしれない。50を過ぎて、私より若い人の次々の訃報に「未だ生きているんだから、生きていることの責任をとらなくてはいけない」と自分に言い聞かせている。それが何であるのか不明…。
娘の勉強の付き合いをしていると、宇宙や地球の時間からするなら、人類の時間も一瞬でしかなく、個人の時間が50年であるか100年であるかということはあまり意味がないと思えてきた。個人のできること、私の出来ることは微々たるものであることは分りきったことなのだが、「悪あがきをすることに何かの意義がある」と思いたい。「フーテンの寅さん」の喜劇は、寅さんの数々の不幸を見ている人が笑っているのである。宇宙や地球の歴史を見ていると「川面の泡に過ぎない」と思えてくる。
芝山羊の声が朝からうるさい。「夜中じゅう騒いでいたので眠れなかった」と娘がこぼしていた。未だ早いから、しばらく後まで泣かしておこうと思っていたのに、娘の迷惑とあってはしかたがない。芝山羊は愛知県まで行かないといないと思っていたのに、飯田の隣町にいることが分った。我が家の軽自動車に私が芝山羊を抱え上げ山の中へ出かけた。車の中は山羊のぽろぽろと、じょーじょーの臭いで一杯になった。その家は柿木の植えてある山に、山羊と羊が4、5匹放し飼いになっていた。オスも一緒に放し飼いになっている幸せなオスであった。我が家のオスは、メスが小屋の中にいるときだけしか外出許可が出ない、かわいそうなオス山羊。●●● ●●● ●●●
340 2004大暑
この間草刈をしたのに、もう長く伸びている。畑の草を刈りとっては鶏小屋へ運ぶ。田の上をなびきながら飛ぶ風の中に稲の白い花が咲き、実りの時にむかって風は流れる。暑いあついこの時が米には必要。この暑さに耐えなければ米は食べられない。自然に感謝してこの暑さに耐える。(光男)
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341 2004立秋
家と鶏舎の間の道の上にあまり大きくない柿の木が頭の上に覆いかぶさるように生えている。下を通るたびに蝉が飛び立つ。この木をねぐらにしている蝉がいるらしい。蝉は長生きはしないので、何匹かの蝉がすんでいるのかも知れない。先日、車の中に蝉が飛び込んできた。そのまま用事を済ませるために出掛けた。途中で蝉は車の窓から飛び出したが無事にねぐらに戻れただろうか。
鶏舎で仕事をしていると、軽トラが我が家の玄関の前に止まるのが見えた。西久保のおじさんが紙袋を提げて軽トラから降りてきた。紙袋の中には早稲の林檎と桃が入っていた。家で採れたと言う小ぶりの林檎と小ぶりの桃であった。
子供の頃の夏休み、朝早く虫取りに行くのが日課であった。2、3人で目星をつけた樹液の流れる栗やクヌギの木を巡って歩く。朝露でズックはビチョビチョであった。大きな甲虫やクワガタ虫に出会うことはめったになく、小さなメスのクワガタやスズメ蜂との出会いの方が多かった。家には、あの頃のガキは誰も立派な虫籠などもっていなかったので、空き缶や空き箱が虫かごだった。木に穴を空けるのが得意な虫は、ダンボールの箱など朝飯前なので、夜のうちにあるいはもっと早くみんな逃げ出しているのが常であった。家も穴だらけだったので虫たちは直ぐに森に帰ったはずである。虫の森は畑の隣にあり、畑にはスイカや大根などが植えてある。わるガキの人数が増えるほど、悪さをした。宮沢賢治のように持ち主に断りを入れてから…、などという面倒な手続き無しにスイカを頂いたことがあった。虫の季節とスイカの季節は一致していたので、スイカを虫が食べたと思って勘弁してほしい。
桜ヶ丘の向こうのほうにかすかに港が見え、横浜バイパスを見下ろす虫の林の隣に桃の木が何本かあった。虫採りのついでにその桃を失敬して食べたことがあった。皮をむくこともなくかじりついた桃。チクチクとするような熟す前のコリコリと固い桃。おじさんの小さな桃も40年前の桃のようにコリコリと固かった。
「カメムシがたかったもんで…」おじさんはしきりに弁解をしていた。「鶏にでもやってくれ」といって鳥がつついた林檎。風で落ちた林檎を袋に入れて持ってきてくれるので、我が家では林檎を買って食べたことがない。「鶏に…」というおじさんの希望も時々かなえられ、芯や皮だけでなく林檎が鶏の餌になることもある。夏の林檎は…、やはり秋から冬の食べ物。すこし酸っぱい林檎をかじる。
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342号 2004処暑
海を見ることもなく、山に登ることもなく、実家に帰ることもなく、川で泳ぐこともなく、今年も夏が過ぎようとしている。夏休みの宿題のある頃は、宿題のない大人になりたいと思っていたのに、大人になると宿題はなくても遊んでばかりいられない。くもの巣にたかった蝉が一匹網を破き、短い夏の空へ飛び去る。
8月15日が近づくとあの戦争で死んでいった若者の姿が放送される。国家に翻弄された悲惨で短い青春。沢山の無念が海に、島に消え、戻ることがなかった。靖国神社に祭られている死者達は、政治家達を歓迎しているのだろうか。
生きていたら、したかったであろうあれやこれやの、叶うことのなかった願いを、少しでも実現することが、残された、後の世を生きるものの勤めに違いない。戦争のない平和な世の中を作ることは、戦争で死んでいった人たちへの最初の、最低の責務であり、死者を悲しませてはいけないと思う。
それらの忘れることの出来ない映像の中で、強く覚えているものがある。広島の原爆の映像で、体内被曝で知能の発達に障害を持つ女の子の映像であった。
床屋の両親と暮らしていたのだが、お父さんがやがて死に、少女は母と墓参りに行く。墓石の前につれて来られ、言われるままに花をたむけ、水をかけ「ここにおとうちゃんがいるんだよ」といわれ、墓石に頬を摺り寄せていた。「お父ちゃんの声が聞こえる」、両親と娘の抱える病の重さ、経済と将来、現実の重さ。近頃テレビから流れる大儀だの、正義だの綺麗で雄弁な屁理屈。
戦争へと進んでいってしまった時代の役人は、現在のこの国の指導者より愚かであった訳ではない。深い反省の結果が憲法になったのである。痛みや悲しみを忘れ、熱狂の中にいる人が、痛みや悲しみの記憶が遠のいたからといって、痛みを忘れた指導者がもう一度戦争をすることを合理化するとは…。私の指に棘がささったのは、他人の大怪我と同じくらい痛い。私の子供の死は、具体的な名前のある一人の人間の死であるが、国の指導者にとっては、戦死者1名でしかない。死者たちは数字にされてしまう。原発の事故で死ぬのは電力会社の社員や通産省の役人ではなく、下請けの社員である。戦争で死ぬアメリカ兵も黒人、貧しい白人が圧倒的に多い。戦争をしたい人は、戦争で傷つくことのない人である。武力による問題の解決を図る国は、民主主義国ではない。
朝起きると卵油を飲み、梅肉エキスをなめている。エンジンとオイルの関係みたいに互いに支えあっているらしい。大過なく夏を越えた…感謝。
〜事務局便り〜◆「田舎暮らしの本」について◆
宮崎 崇徳
6月16日に倶楽部メンバー5人が宝島社「田舎暮らしの本」の取材を受けました。「信州での新・田舎スタイル」という特集記事の取材で、昼食をしながらの座談会と各々の自宅での個別インタビューの2形式で行われました。なごやかなムードの中始まった座談会では、活発に意見が交わされ予定の2時間を1時間ほどオーバーしてしまったほどでした。
取材記事は8月9日発売の宝島社「田舎暮らしの本」(9月号)に、見開き6ページカラー写真入りで掲載されています。定価1500円とちょっと高めの本ですが、他の記事もカラー写真満載で読み応えがありますので、是非読んでみてください。
◆Iターンに関するレポートの作成協力◆
高松 伸幸
愛知県内の大学に在籍するTさんという女子学生の方から「大学での研究の一環としてIターンに関するレポートの作成に取り組んでおり、その取材に協力してもらえないか」という問い合わせが倶楽部に対してあり、何名かの会員の方にご協力いただいて取材に応じることにしました。
取材日は7月30日。参加者は5名でした。
穂高町内の閑静な喫茶店にて、Tさんの質問に対して其々の体験談などを語り合うという座談会形式で、終始和やかな雰囲気で進行。途中、話が弾みすぎてTさんの質問内容から脱線してしまうこともありましたが、私たちも会員相互のIターンにまつわる裏話などを聞く事が出来、とても楽しいひとときでした。
肝心の谷口さんにとって十分参考になったのか少々怪しいところもありますが、どのような印象を持たれてどのようなレポートをこれから仕上げられるのか、興味がそそられるところです。
◆「北海道開拓使の会」との交流始まる◆
中澤 滋
NPO法人「私設 北海道開拓使の会」というところから事務局にメールが届いたのは6月23日のことでした。「同じIターン移住者同士で意見交換することがお互いの利益にならないか」というお誘いであり、事務局としても「良い話」、ということから彼らと交流することになりました。開拓使の会は新・信州人倶楽部よりもはるかに大きい360人を超える団体ですが、考えていることはほとんど同じように思えることもあり、メールでの意見交換や会報の交換を始めました。また今年発刊した書籍「新・北海道移住!」を送ってくださったので、私たちも書籍「信州で暮らしませんか?」を送りました。
最初の意見交換は特にテーマはなく、本や会報をお互い読んでの感想で、「それ思い当たるよ」というようなことでした。事務局メンバーにはメールを出しましたが、今後テーマを決めての意見交換が進むようであれば、会員からの意見を募りたいと思います。
会報や本を読んで一つ面白かったのは、北海道独特の文化というのか、多くの人が実践している会費制の結婚式というものでした。式場に列席する招待者は、受付で財布からお金を出して領収書を受け取る、というもので、祝儀袋に入っているのはその場で開封して金額をあらためて領収書が発行される、というのです。合理的ですが知らない人は皆ビックリのようです。
〜とくとく情報〜
◆端材、いりませんか?◆
住宅建築を手掛けている高松建築工房では建築現場で出る木材の端材の引き取り手を探しています。構造材の端材はバーベキューやキャンプなどの火起し用、ストーブや暖炉・焼物の窯への薪代わり。キレイな羽目板の端材などは小さいお子さんの遊び道具にピッタリかも。
現地まで取りに来てくださる方限定ですが、引き取り手がなければ廃材として焼却される運命の端材の有効利用に一助いただければ嬉しいです。(8〜10月の現場は松本市里山辺です。)詳細の問い合わせは高松まで。
- 編集後記
信州でも連日35度以上という例年にない猛暑も終わり、虫の音が心地良い季節となりました。地球温暖化の影響なのか信州も年々気温が高くなり、エアコンの普及率も上がっているようです。豊かな自然に恵まれた「信州人」は環境問題への関心が薄いと言われています。「新・信州人」の積極的な働きかけによって、「信州人」の環境意識の高まりのきっかけになれれば素敵ですね。(宮)
赤とんぼの群れが穂高神社の駐車場で乱舞しているのを見た。アルプスの山並みがほんの少し近くに感じられた。空に浮かぶ雲の様子に力強さよりもむしろ穏やかな印象を受けた。
……テレビニュースはうだる残暑に汗を流す都会の様子を連日映し出しているけれど、「秋近し」を感じられるお盆休み直後の安曇野の様子は今年も相変わらずでホッとしている今日この頃です。(高)
今年のわが家の庭にはオニヤンマが2度も訪ねてくれました。木々が大きくなり、日陰も多くなったのが良かったのか…。2度目の来庭では、ペンキを塗り替えたばかりのテラスの上を、光沢があるためなのか何度も旋回、卵を産みたいような仕草でした。
また、今年はフェンネルにキアゲハの幼虫が大量に出没。採るのは可哀想なのと、なぜかカメムシが嫌がって寄りつかないので、そのままフェンネルを食べてもらっています。庭の出来事、いろいろと面白いです。(中)
●会報目次●
●みんなで発信●●おたより紹介●●今までの活動の紹介●●新・信州人倶楽部に興味のある方へ●
●TOPページ●
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