Iターンネットワーク 新・信州人倶楽部 |
〜第34号〜 |
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〜新年を迎えて〜
T.S
2001年9月11日を境に、世界では、気質というか、性格というか、感受性というか、そういう思考以前の何かによる人々の対立があらわになってきたように思う。
一方に、強者におもねり弱者のことは念頭になく、寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ、泣く子と地頭には勝てぬとばかり、あわよくばおこぼれ頂戴とばかり、率先して強者に迎合、お先棒をかつぐ輩がおり、他方に、長いものに巻かれることはない、先天的にできない、地頭とは己の正義感にもとづき永遠に抗う人たちがいるのだ。
この間にいる膨大な中間層のことは、この際外しておこう。彼らはショタイを張ることやミエを張ることにいそがしく、自分並びに身の回りのこと以外、考えるということをしない。結局は、ただ大勢に流されてゆくだけの、歴史的には大きな主題になりうるものの、余り論じても益ない「いつの世にもいるその他大勢」の人々だから。それで、世界は、今や人種、宗教、国籍、思想を超えて、先述の人たちの倫理的、性格的対立がより鮮明になる時代に入った。
とはいうものの、一歩退いて考えれば、誰しも生きたい、生き残りたい。東京大空襲や広島・長崎のように、突然頭上から、むやみやたら、雨あられと爆弾やら放射能がばらまかれ、無惨に殺されるのはまっぴらご免、ここはじっと我慢の子、一時の屈服、面従腹背もまたやむを得ないと考えるのも、筋は通る。少なくとも非難はできない。いまや、世界中が強大な唯一の軍事力を前にして手も足もでない。泣く子をあやすごとく、ご機嫌とりに終始している。
しかし、こんな強権的、高圧的な世界の構図に、はたして明るい未来はあるのだろうか。これではどうやらローマ帝国やジンギス汗の時代に似てきている。歴史の逆行ではないか。
もう一つ、いおう。無数の人たちが苦難のすえ獲ち得た、かけがいのない自由や人権を無視し、己の安心、安全とひきかえに監視・抑圧社会を望んだU・S・Aの人々。世界最大のならず者国家、世界最強のテロリスト集団、アメリカ石油資本の走狗アメリカにも、おそらく明るい未来などないということだ。
世界は明るい未来に対して、どん詰まり、二進も三進もゆかぬということか。嗚呼。
否。嗚呼とはなげくまじ、いざ、抗おう。世間から天の邪鬼、ひねくれ者、つむじ曲がり、異端者呼ばわりを一度はされてきた、われわれの出番である。歴史が示すとおり、明るい未来はわれわれが担っているのだ。抗おう。手をこまねいていてはいられない。
と、ここまで書いてきて、はたと困った。抗う手だてが見つからない。なにしろ、おべっか族のネットワークは地球大に張りめぐらされ、そのシステムの巨大さは想像を絶している。まるで雲をつかむような話なのである。せいぜいがディベートする。己の発言には責任をとる姿勢をもちつづけるくらいが、関の山か。昨今の日本では。
しかし、それでいいのである。この世界の奇怪な構図、アナクロニズムの構図総体に異見をたたきつけ、己の存在の耐えられない薄さに耐えながら、なおも存在を守り続ける。このやむにやまれぬ反抗心がわれわれの生れついてのものだとしたら、逆にこんな楽な話はない。何をやってもよい。肩意地張らず、ただ己らしく生きていけばいい、ということになるのだ。前途は遼遠だ。楽しく生きていこう。
(2003年1月7日記)
〜おいしい味を、少し〜
中澤 滋
今回は会席料理について書いてみることにします。若い頃は欧風料理ばかりで、結婚後も都内・横浜のフランス料理店を重点的に訪ねていたのです。その後結婚5周年の記念日に、“本当の会席料理”を食べたくなり、京都の東山にある本格的料亭で本物の味に触れたのです。 そして信州に来てすぐの頃、色々なガイドブックを購入し情報集めをしていたとき、大町のくろよんロイヤルホテルに吉兆が入っていることを知ったのです。 |
「何で吉兆が長野県にあるの」という素朴な疑問はともかく、8月の女房の誕生日に出かけてみると、とても上品で柔らかい味に大満足でした。そのときの料理に、イワナとタデのグリーンソースというものがあり、季節の材料を上手に使っているのが印象に残っています。
ということで、おいしい店が少ない松本地域で何か特別の日に訪れる店として吉兆を利用するようになりました。松本周辺で1万円から1万5,000円のフランス料理を食べることを思ったら吉兆が断然良く、なによりも食事の後の満足感とその余韻が全く違うのです。
会席料理は8,000円、12,000円、16,000円、20,000円と揃っていますが、私達は8,000円から始め、程なく12,000円のコースに格上げしました。しかし16,000円の懐石にはなかなか手が出ず、昨年やっと実現したのです。
さて、その「おまかせコース(禄)」ですが、まずはサトイモのゼリー寄せにピーナツのトッピングをあしらったごまペーストソース、そしてイカのお造り・たらこ和えが出てきました。サトイモの切り口の美しさ、薄味だけれどしっかりしたこくのある味のゼリーです。サトイモのねっとり感とゼリーの対比が良く、ごまの風味が素材をじゃますることがないのです。
椀ものは、かつおだしにハモと生麩のごま風味で、ハモの上には梅みそがのっていました。淡泊だけれど甘さのある味わいのフックリとしたハモに、だしと梅の味わいが合わさった品です。生麩は柔らかく腰のある風味豊かなもので食感・だしとの相性はすばらしいものでした。
刺身はタイ、トロ、シマアジがかき氷の上に盛り合わせてあり、脂の臭みの全くないトロではマグロの味を堪能。シマアジはコリッとした食感とアクセントの梅みその酸味が合わさり、とても良い味です。つまは薄味の海藻でしたが、口の中でお魚の味と合わさり複雑で微妙な味わいとなります。タイはほのかな甘みが良く、特有の香りがでしゃばらない上品なものでした。
それからほうじ茶が出て、次ぎに莢付きの枝豆です。両端が切った莢から豆を口に入れると大豆の香ばしい香りが口に広がり、一見固そうなゆで方なのに豆はしっかり煮えている、という上品で香り豊かな一品でした。
次は盛り合わせです。焼きアナゴの寿司、銀杏の唐揚げ、椎茸の天ぷら、エビかまぼこ、ハニーコーンのボウル揚げ、そしてうざく(ウナギとキュウリの酢の物)が付いてきました。
まず焼きアナゴの押し寿司ですが、酢飯の香りとアナゴのたれが微妙に絡んでアナゴのソフトな食感と合わさり、とても美味しいものでした。トウモロコシや椎茸の揚げ物は、ころもがフリッターのようでもっちりした食感が良く、青々した銀杏に至っては食べた瞬間の「サクッ」という軽い食感が初体験でビックリでした。
焼き物は太刀魚のおろしキャビア添えで、柔らかくホックリとした厚みのある太刀魚の脂に、おろしとキャビアがとろけ合い、わずかな塩みにしか感じないキャビアとの調和は今まで味わったことのない組み合わせで大満足。
次に出てきた椀のふたを取ると、牛ヒレ肉と冬瓜がひたひたの汁に浸かっているものでした。ヒレ肉の上にカラシがのっているのをまず一口、柔らかいだし汁と牛の香り、脂肪の甘さが調和した味わいで、牛のわずかな焦げ目が味わいをより複雑で感じ深いものにしていました。
次ぎはご飯ものですが、出てきたのは大きめの椀で係の人が「もずくの雑炊です」というのです。少々意外でしたが、膳にはトッピングのイクラとつけものが添えてあり、まずはそのまま雑炊を頂きました。程良い塩加減としっかりしただし、もずくの香りが香ばしくて温かな雑炊が胃にやさしく収まっていき、ホッとするような一時でした。
最後のデザートはフルーツの盛り合わせで、メロン、モモと西瓜の玉の上にくずきりをのせて食べるもので、特に西瓜とくずきりとの相性にはその味わいにビックリ、今まで食したことのない味にとても満足しました。
本当はもっともっと書きたいのですが誌面に限りがあるので省いてしまいました。吉兆では毎回、食後数時間は幸せな余韻が残る、という経験をしています。なかなか頻繁にはいけませんが、決して後悔しないお店です。
〜信州方言一刀両断 〜
E.K.
ご覧になった方もいると思われるが、去る1月15日のタウン情報のコラムに児童文学者協会会員の池田久子さんがパロディ風方言訳という副題でジョンレノンのイマジン(池田さんは今人と書いている)を方言で語っている。本当にユニークなので紹介してみよう。『考えてみましょ、ほうさね、極楽なんてねェだっちゅうことせ、そうなりゃわしらの足元にゃ地獄なんてのも無ェわけでござンしょ。…中略…この星にすんどるもんは、皆もともとアフリカ産の兄弟せェ。…中略…これからは、この星にすんどる衆は、皆たすけあって生きるんだよ。そんなん出来っこ無ェ、ヘ理屈だっていうかもしれん。だけン、この考えは別に変人のたわごとじゃ無エだよ。…』イラク攻撃が取り沙汰されている今日、方言という手段を使って世界平和を訴える手法はやられたなと思った次第である。
もうひとつ、これも受け売りで申し訳ないが、信毎新聞に時々「信州・松本 お国ことば」というのが掲載される。これは実に的確に解説されているので一読の価値がある。最近掲載された中で私も書こうと思っていた言葉が載っていたので紹介したい。それは「たんのうする」という表現で、私もよく耳にする。普通は堪能といえば、スポーツや技能が身に付いていて自分のものになった状態をいい。「堪能だ」「堪能である」と言うような言い方はするが、「たんのうした」とか「たんのうする」とかの言い方はしない。ところが、当地では例えば魚釣りに行きあまり釣れなかった場合など「たんのうしねェだ」とか、釣れすぎたばあいは逆に「ああ、たんのうした」という。満足した。納得したと言う意味だが、何かなじめない。
なじめないと言えば、信州の人は食事の後に「いただきました」と言いうが、この使い方が全国的に使われていると思っているようだ。「〜ずら」「〜だだ」「〜じぃ」などの語尾に使う言葉は意識して使わないようにしているようだが、慣用的な言い回しについては小さい頃から擦り込まれた言葉で自然に使っているように思われる。私も信州に来て初めて「いただきました」を聞いたときにはびっくりした。確かに「いただきます」から考えると「いただきました」でもおかしくないような気もするが、やはりなじめない。
ちなみに余り聞かれないが、あらたまった挨拶言葉として「御馳走様」にあたる「おしょさま」という言い方がある。これは昔の京言葉に由来していると言われる。最近は方言が文化として見直されているようである。方言で戯曲を演じたり、歌を唄ったり、俳句や短歌を詠むというような試みも行なわれている。皆さんも方言研究にチャレンジしてみたらどうですか。
この冬の大雪は、わが家の野鳥たちの行動にも変化を及ぼしているようです。1月の始め、普段は屋根でくつろいでいるスズメですが、20羽以上もが庭の木々に止まり何やら騒いでいるのです。どうも新芽か虫を食べているようなのですが、いつもの年では見られない行動です。しかも古くなったりんごを置いてみると、いつもはヒヨドリが喜んでついばむところをスズメが占領するのです。そこで「きっとスズメのエサがあまりないのかな」と思い、庭に2つあるエサ台にエゴマやアサの実などを入れたら、くるわくるわ大騒ぎです。
モズやヒヨドリ、キジバトは遠くからただながめているだけです。カラ類が食べられるようにと、少し大きめな実も入れているのですが、スズメは食べないので残ったままです。しばらくはこのままの状態が続きそうです。
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