Iターンネットワーク

新・信州人倶楽部


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第33号

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〜信州Iターン大賞に寄せて〜

中澤 滋

 新・信州人倶楽部初めての大きな企画である“信州Iターン大賞”体験作文募集について、会員の方にも是非応募していただきたいと思い、私の体験を思い出しながらを記述することで体験作文の予行演習をしてみたいと思います。まだ整理してないため、読みづらい文章かも知れませんがどうかおつき合いください。

◆なぜIターン?私の場合◆

 私がそもそも「信州で暮らしたい」と考えるようになったのは、そこにアルプスがあり、東京へも日帰りで行くことができる、ということがポイントだったような気がします。しかしそのきっかけは今からさかのぼること、20年も前のことのように思います。結婚して数年経ったときだったと思いますが、サントリー協賛による日本野鳥の会の新聞広告を目にし、早速入会手続きをしたことから始まったようです。

 それからは双眼鏡を購入し、近くのスズメやヒヨドリ、カワラヒワなどの観察を始めたのですが、双眼鏡の明るさが人の目の20倍以上もあることから、薄暗い夕方でも色合いのくっきりした姿にビックリ。初めて双眼鏡を山に持っていった北八つの白駒池キャンプ場そばで見た、木々の中で騒ぐカケスのきれいさにとても感激しました。その時は天狗岳まで行ったのですが、オコジョやハヤブサにまで遭遇するという楽しい山行でした。

 都会、しかも私の通勤していた会社は大田区西糀谷にあり、昔ですが日本の亜硫酸ガス濃度が一番高い地域として紹介された、それはひどい環境だったのです。京浜急行の空港線という路線の大鳥居という駅で降りて会社に行くのですが、線路周りの家屋はさび茶色に染まり、産業道路の車の排気ガスは健康な人でもぜん息になりそうなひどい環境でした。そんな会社への通勤時、自宅のある横浜市鶴見区東寺尾から生麦駅の間は結構野鳥も多く、早めに家を出た日には数分間の観察をよくしたものです。また会社近くの歩道でも、コンクリの脇からでてきた雑草にも目が止まるようになりました。道すがら会社の同僚や先輩と歩くときでも、「こんなところにオオバコがある!」と言う私を「変なやつ」と思う彼らのまなざしを覚えています。

 しかし自然への思いを決定付けたのはあるとき、安全規格担当として電磁波の不要輻射の測定のために、設計部門に同行して行った奈良県の生駒山にある測定サイトでした。朝から夕方までサイトの中に缶詰で測定と対策に明け暮れるのですが、昼休みの付近の散策ではみんなのホッとする顔が意外でした。2日目のことですが、設計者の一人が側溝でクサガメを見つけ、一緒にいた連中があっという間に5匹程度捕獲したのです。こんなところに自然が一杯、という感激で、私はきれいな雑草を何種類か採取、本に挟んで押し花にして持ち帰りました。こんなのどかな経験は今までに余り記憶がなく、家に帰るなりさっそく女房に報告したものです。

 どうやらこのころから都会に住むことへの何やら漠然とした違和感が芽生えたようです。それでも都会の安易な生活はそこそこ快適で、豊富なレストランや美術館、コンサートホール、ジャズクラブ、映画館、デパート、ブティックなどなど。共稼ぎで余裕があったせいか、都会の誘惑に誘われるまま過ごしていました。特に田舎育ちの(島根県益田市というところで、結構田舎です。そういうと女房はむきになって怒るのですが…)女房にとっては「あこがれの都会にやっと生活することが出来た」という、小さい頃からの執念みたいなものがあったらしく、私が田舎に関する話をしても、遊びとして行くことしか頭にないようでした。

 結婚してから山道具一式を女房にあつらえ、奥多摩、奥秩父から尾瀬や南アルプス、八ヶ岳へと一緒に行くようになり(無理やり私が引っ張っていったのですが…)、中央線もなかなか超えられなかった塩尻峠を超えて松本に入り、上高地から唐沢を経て北穂にも行きました。

 ということで我が家でも自然を満喫する楽しみが当たり前となりましたが、それは週末のレジャーの域を出ないもので、相変わらずの都会生活も存分に享受していたのです。それでも野鳥の会の集まりで、「たばこを吸うときには灰皿持参」という鉄則も学び、徐々に自分の振るまいと自然との関わりについて考えさせられることが増えてきました。

 そんな都会生活が当たり前だった私達のターニングポイントは、倍率3倍で絶対当たることを確信していた東戸塚の高層マンションに外れたことから始まったのです。その頃はまだバブル以前であったため、マンションも2.000万円台からの物件もあり、それほど人が殺到するようなものでもなかったのです。三菱地所のそのマンションは、今までのマンションとは違ってスペースも環境も設備もとてもよく見えたのです。お金もある程度貯まり、マンションを購入できるようになった私達にはそれを手に入れることがごく当たり前のように思えたのです。

 ところが当然当たると思っていた抽選発表会では見事に外れ、しばらくは半信半疑というか「何で」という怒りみたいな感情が沸き上がってきたのです。夫婦共々それからは「絶対物件を取得するのだ!」という使命感に燃え、毎週のように首都圏の物件巡りをして申し込みをしたのです。でも、ことごとく抽選に外れ、自分たちの返済能力を超えるような物件も見学するなど、だんだんとエスカレートしていったのです。ただ金沢八景の分譲売れ残りの公団住宅は、その建て付けや間取りの古さ、粗悪な品質にはビックリして、さすがに購入する気にもなれませんでしたが…。

 ところがそれから1年もしないうちにその公団住宅が完売、との新聞記事を目にし、「何ということだ」とビックリ。後から思うとその頃始まったバブルをそのとき初めて垣間見たのです。

 それでも私達は家に執着し続け、都会がダメならもう住むところは田舎しかない、と結論付け、田舎物件を紹介するとてもマイナーな雑誌(個人がやっているパンフレット的なものを発行)の購読会員となり、田舎物件を探すことになったのです。その中には北海道から九州まで、筆者が自身で訊ねた物件が紹介されており、とてもわくわくするように読んだ記憶があります。

 同じ頃、女房が運転免許を取りたい、と言いだしたのです。女房のお姉さんが45歳で免許を取った、との話に刺激されたようです。私も将来田舎に移るのだったら有った方がいいし、ということで推移を見ていたのです。ところが女房が時間とお金をずいぶん使って無事免許を取得したら、何と「せっかく免許を取ったのだから車が欲しい」と言いだしたのです。女性というのはこういうものなのでしょうか?

 そこで熱しやすく冷めやすい我々夫婦は、今度は車探しを始めることとなったのです。中古車も少し見てまわったのですが、「誰が乗ったのか分からない車はチョットね」と言うことになり新車を購入することにし、田舎を回るのだからと、その頃人気のあったオフロードでも通用する車を検討することになったのです。

 その結果、少し都会的なスポーク仕様のホイールを履いたテラノが気に入ったのですが、お金が無くてジムニーとなってしまいました。ところが今度は鶴見の山の手で気に入っていたアパートの近所に駐車場が確保できないことが判明、もう車を購入することを決めてディーラーと話を進めているときにです。それからは駐車場付きのアパートを探すことになってしまったのです。時間もあまりなかったので、川崎市中原区の新築中のマンションに決定、12万円ほどの家賃は当時の私達でも「高いな」と思ったのですが、たまたまその頃は転職した会社が羽振りが良かったもので、あまり気にすることはありませんでした。引っ越しが終えて最初の週末に会社関係の人を招いて新居のお披露目をしていたところに、ジムニーが届きました。しかし私はカナダ以来10年ほどペーパードライバーをしていて、右ハンドルとマニュアルミッション車の運転に自身がなく、試乗することに躊躇、結局は同僚に試運転をしてもらうことになったのです。

 さていよいよ車を使った田舎物件探しですが、雪下ろしの大変さを雑誌などで勉強した後では、福島県の奥只見などの豪雪地帯の物件には怖じ気づいて問い合わせも出来ず、なるべく雪の少ないと思われる信州の八坂村(その頃は何故か八つ墓村とダブってしまったのですが…)に出かけてみました。私達の他にもう1組の参加者がいて物件を見たのですが、その廃屋はまるで昨日夜逃げしたようなさまで、布団やゴミはそのまま、その不快感はかなりのものでした。しかも更地にするには200万円程度かかると聞かされ、また付近に近々養鶏場ができるとの話も出てきたのです。加えてその家屋の入口付近には何故かじめじめしていて、小さな小川まで流れているではありませんか。これはえらい物件、と言うことで契約はせず、近くのアルプス展望台により、その後松本で県の住宅供給公社の分譲情報をもらって帰路につきました。

 それからは飯縄高原や小諸の別荘地などを回ったのですが、契約に到る物件はありませんでした。ただ小諸の別荘地では危うく契約しそうになったのです。

 その別荘地は小諸市街から30分もあるところでしたが、土地は900坪もあるという広さに「ここで野球も出来そうだ」という、訳の分からない考えに大満足!ちょっと斜面でしたが、何とかなりそうで「これはいい」と予約金5万円を払って帰路に着いたのです。しかし家に帰ると、色々不安な点がでてきて、見せてもらった購入者リストに首都圏の弁護士や医者等が多かったことを思い返し、私達のように永住するのではなく、土地を転がす人が多いような感じを持ったのです。そうすると今でも山林ばかりなのに、いつまでもそのままでは「とても淋しい感じでいやだ!」と女房が言いだしたのです。私が仕事で都会に出かけるときはとても耐えられない、と訴えてきたのです。そういえばあの斜面の側溝の周りの土はいかにも新しいものを盛った感じで、大雨があったら流されてしまうに違いない、ということですぐに電話で解約を申し出たところ、何と5万円もちゃんと戻ってきたのです。バブル真っ最中でいくらでも購入者がいたのでしょう。

 …と、ここまで書いてきて気づいたのですが、もう原稿用紙10枚分を超えてしまっているのです。こんなペースではいつまで経っても終わらなく、分量オーバーで書くべきことを絞らなければならないようです。ということで皆さんもとりあえずペンを取って今までの何年かを振り返ってみると、何となく文章が続いていくことに気付くと思います。そんなことを信州に来てからの一つの区切りみたいに文章にしてみてはどうでしょう。
ということでかなり半端な終わり方ですが、スペースもないことから私の作文はこのくらいにさせて頂きます。


第26回例会報告


会員紹介


〜おいしい味を、少し〜


中澤 滋

 今回は私のひいきのスーパーを紹介します。そもそもは昨年まであった芳川小屋のスーパー「食鮮館」がつぶれ、しょうがないからアイシティーの生鮮品を買うようになっていたのですが、今年の1月始めの新聞広告でスーパー・TERA(テラ)というものに変わったことを知り、早速様子を見に行ったことが始まりでした。この地にきて10年以上、海のない信州に飽き足らなくなっていた私達の食生活が根底から覆がえされたのです。

スーパー・TERA

 このスーパーは野菜、お肉、お魚、乾物もの等いつくかの店が入っているもので、業者向け商品が充実していることが特徴です。お肉もブロックものも多くあり、豚ロース肉など2キロ単位で売られていたり、店頭になくても希望の部位を言えば結構揃えてくれる、そんなお店です。このところ、焼き豚を肩ロースからすね肉に変えてとても満足しているのですが、すね肉を置いている店はあまりないので重宝しています。アイシティーや井上、エスパ、アップルランド、ベイシアなどのスーパーは全滅でした。

 さてここの目玉はなんといってもお魚屋さんです。「東京三輪」と書かれているので、地元の業者でないところに安心?を感じます。魚は全国からそのときの良いものを仕入れるため、地元の業者ではろくなものを仕入れられない、ということをこの10年間学習しました。(私が横浜にいた頃は、築地の業者も買い付けに来るという生麦の魚河岸にたまに出かけてはおいしい食材を買っていたのです。)

 さて、ここのお店では近海物の“丸物”という一匹物がとても充実しているのが特徴です。それも相当フレッシュなため、そのほとんどがお刺身でおいしく食べられるのです。このため今まで刺身で味わったことのない魚を今年は存分に堪能したのです。デパートにあるマダイ、シマアジ、ヒラメ、関アジ、関サバ、カンパチ、イサキなどの魚はもちろん、オコゼ、サヨリ、ソイ、アイナメ、メダイ、カサゴ、カワハギ、ナメラ、イトヨリ、ホウボウなど、季節の魚が並びます。私も初めてお刺身で食べた魚も多く、この魚がお刺身で食べられるの?という驚きの連続でした。そこで釣り師用の料理本を購入していろいろ勉強している最中です。

 一匹ものは土曜日が充実しているようですが、火曜日や木曜日でも良いのが入っていることがあります。しかも値段がとても安いので他のお店には行くことが出来なくなり、このお店を利用しだしてからは、週5日くらいはお魚の食卓となる健康生活になりました。ちなみに値段ですが、11月に購入したイサキは500円、関アジは900円、メダイが700円、筋子の入った大きな生鮭が1,500円、生のズワイガニ950円、この辺ではあまり見ないとても大きなヤリイカが800円、ホウボウ250円などです。

 台風や低気圧がきているときはいい魚が入らなかったり、その時によって値段が大きく変わるのは、海や市場の関係がよく分かりとても楽しいものです。いつでもどこでも同じ値段、ということはあり得ないことであり、ひょっとして値段を高値で安定させているお店もあるように思います。毎日仕入れによって変わる値段が魚など生鮮品では当たり前、ということに改めて気付かされました。きちんと値段が変わるお店が良心的なようです。店頭に並ぶ商品がないときには、デパートでも偽装表示をしてブランド商品として売るような時代ですから…。

 ということでスーパーテラのおかげでこの1年、私達の食生活はとても充実したものになりました。もちろんお刺身以外でも大きなアナゴを天ぷらにして感激したことや、生のワタリガニを蒸して食べたことをきっかけに魚を蒸す食べ方のおいしさの発見や、アジやエボダイを開いてもらい、自家製の一夜干しにしてみたり、おいしい関アジをしめ鯖にしたりと、お魚を食べる楽しみがぐっと広がりました。私は以前からしめ鯖が好きなので、良いものが入ると締めるのですが、以前アイシティーで関アジを購入し締めたものよりテラのものがキリッとして数段上の味に仕上がったことを覚えています。

 お近くのスーパーで、しょうがなく買物をしている方、あるいは信州の魚にげんなりしている方がいましたら、ぜひテラに足を運んでください。後悔はしないと思います。場所は松本市芳川小屋のコープの向かい側にあるサン・マックスの隣です。定休日は1月1日だけです。

ところが2002年に激変しましたので、会報39号からの記事を以下に紹介します。

 さて次の残念な話は会報33号(2002.12.26 )で書いたスーパーTERAのことです。
今年の夏ごろからいけすや特設場所の一匹ものがなくなり、パックされた鯛など、ごくありきたりの魚しかな出なってしまったのです。1カ月位したときに、魚の大将Nさんに聞いたところ、会社の方針が変わり、今までのように近海物の一匹ものを仕入れなくなった、というのです。それでも月に1度くらいはのぞいて、ひょっとしたら復活するかも、との期待で時は過ぎていったのです。しかもある時期からNさんの姿を見かけなくなったので、店員に聞いたところ「Nさんは辞めたんですよ。どこへ行ったのか自分たちも知らない」とのことでした。フレッシュな生きのいい魚を仕入れて、それを売ることが楽しみだった彼には会社の方針転換には付いていけなかったようです。確か「自分は五島の生まれだ」と聞いたような気がするので、こどもの頃から新鮮な魚の中で暮らしてきた彼には、絶えられないことだったのでしょう。
 残念ですが、テラに魅力はなくなってしまいました。ということでお刺身倶楽部は自然消滅、今は梓川のデリシアでたまに良いのがあると、それをお造りにしてもらい、にぎり寿司にしています。何せずいぶんNさんには魚の種類から鮮度の見分け方など勉強させてもらいましたので、自分で選ぶことにしました。ベイシアでお造りをしてもらってもサバキ方が雑で、切り身の厚ぼったいし、だめです。その点梓川のデリシアの、名前は知らないお兄さんのお造りはよいですよ。今度名前を聞かなければ。別の人のお造りだと味が違うのです。それでもNさんのサバキにはかないませんが…。
 今まで刺身といえばマグロやイカ、タイ、イサキ、ブリ、アジ、イワシ、サンマや貝類、とちょっと高級なヒラメなどでした。それが太刀魚、ボラ、ソイ、カレイ、アイナメ、メダイ、キンメダイ、ホンムツ、ホウボウ、ナメラ、スズキ、ウマズラハギ、イトヨリ、コチ、八角、本カサゴなどなど、刺身で食べたことのない魚を鮮度がよいので美味しく食べ、その都度感激したものです。
ちなみに2002年11月2日の私達のお刺身ノートから紹介します。
◆イトヨリ◆
 イトヨリは煮付け、というワンパターンの考えでしたが、「刺し身で食べられる」と市場でいわれて仕入れてきた、と店の人が言うのでお造りにしてもらうことにした。
店の人は刺し身で食べたことがないといっていたので、お造りを作っているときに食べてもらったら、「鯛みたいでうまい」といっていた。
 ふっくらとしてとても柔らかい身が、鯛みたいでおいしいが、鯛のような独特のにおいがなく甘さがある。ごくわずかなハーブのような渋味の味がする。握り寿司にとても合い、煮付けに調理するだけではもったいない。
◆ナメラ◆
 口にいれた瞬間、何かさわやかな香りが抜けていく。とてもおいしい。歯ごたえもあり、脂も適度に乗っている。握り寿司にするとおいしさがアップし、キリッとしてよい。
◆カワハギ(ウマズラハギ)◆
 キリッとして甘さがあり、今日のは今まででトップクラスだ。こくがありうま味が感じられ、これは握り寿司よりも刺し身がよい。カワハギの香りがさわやかでおいしい。
 店では魚の表面が乾燥したように見えたが、とてもフレッシュだったのだろう。素材で勝負しないで、水をかけているような店の魚がおいしくないのがうなずける。

 今読み返してもあのときの満足感が思い出されます。あ〜あ、残念です。


〜信州方言一刀両断 〜

E.K.

 我が家のカモちゃんも田んぼでよく働いてくれた。稲刈りが済んで15羽残った。その後、友人が持っていったり、放し飼いの犬に襲われたりして5羽でしばらく仲良く庭を遊びまわっていた。あちこち貰い手を捜していたら、明科の水産試験場で雌を探しているという電話があり3羽もらわれていった。結局クリスマスに私のダッチオーブンで丸焼きになるのは2羽ということになった。

 「おい、コミちゃんそれが方言とどういう関係があるんだ。いい加減にしろ」という声が聞こえるが、まあ話しはこれからですよ。このカモ騒動でのこと「ジョーテくれりゃあもらってやるがね」という人がいた。やや、10年四賀村にいるがはじめて聞く方言だ。なに、ジョールだって。「ああ、知ってる知ってる。あの水まくやつだろ」「それはジョーロ」「わかった寒いとき女の人が首に巻くやつ」「それはショール」なんだなんだ我輩の田舎語バイリンガルを持ってしても翻訳できないのか。「ジョール」ただこれだけ聞いてもフランス語かと勘違いしそうである。一体全体このへんてこりんな表現は何だと村の長老に聞いてみた。そうしたら「ジョール」とは生きている鳥や魚、獣を絞めて調理することだそうだ。つまり、命をいただくことである。

 その人いわく「料る」が変化して「ジョール」になったのではないかとのこと。私は豊穣の穣にるをつけた穣る、もしくは饒ると思ってのですがはっきりしたことはわかりません。

 その後、たまたま全国方言UEBというサイトを見ていたら、遠州弁で調理することを料るというと出ていました。料るなんて表現あるんだと感激しました。そして、日本語大辞典という厚い辞書を引いたら出ていました。未だ一部でつかっているのでしょうか。知っている人いたら連絡ください。



編集人から

 先日チーズを買いに、最近チーズアドバイザーとして名前が売れてきた霜田さんを訪ねて松本市のマンマミーアに行って来ました。霜田さんはなんと厨房で忙しそうに調理をしていたのですが、受付そばにはひまそうな女性が2人。チーズのことが聞きたいので「霜田さんを」とお願いすると、「少々待ってください」というだけで、一向に厨房に行って連絡をする気配が無く10分経過。人をバカにした態度に呆れて店を出てしまいました。普通だったら大きな声で従業員の態度を責めるのですが、霜田さんに遠慮して何も言わずに店を出たのです。

 何という店なのでしょうか。チーズのスペシャリストがいることをさんざん宣伝しているのに、お客さんの希望を叶えようともしない、そういえばサラダバーにはろくなサラダが無く、お店の輸入雑貨も値段が高すぎるように思えました。ここは女房が昔通っていた美容院の近くで、何回か来たことはあるのですが、最近ご無沙汰していたらずいぶん様変わりしたものです。もう二度と行かないぞ、マンマミーア。

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