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新・信州人倶楽部


▲▲▲ 新・信州人倶楽部報 ▲▲▲



第23号

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南米アコンカグア峰登頂ならず

笹川 明

 昨年の夏、労山アコンカグア隊(近藤和美隊長…9名)に応募した。氷点下の続く信州を離れ、成田からダラス、そしてチリ、サンティアゴからアルゼンチン、メンドーサ空港へ。小型ジェット機の窓からアンデス山脈は、雲に覆われて見えない。空港に降り、玄関にて迎えの車を待つ。夜8時というのに、外は真昼のように明るい。空は青いがムッとくるような熱風で、気持ちが悪い。

 登山口のプエント・デル・インカへ向かうと、車窓いっぱいに砂漠のような茶褐色とした荒涼たる平原が広がった。ごくわずかの緑がちらほら見える。日本とは違う、大地…地球の裏側に今いるのだと強く実感する。インカは標高2,800m。この川には自然にできた橋がかかっており、川の脇に洞窟の温泉がある。時間もあるのでみんなでしばし観光見物をきめこむ。本日の宿泊はベニテンテ・ロッジ・AYELEN。
12月27日、今日からはキャラバンとなる。基地にて共同・個人それぞれの装備を30kgに分ける。これをBCのプラザ・デ・ムーラスまで「ムーラ」と呼ばれる馬とロバのあいのこが、アリエロ(馬使い)の誘導で運んでくれる。ここよりトラックの荷台に乗り込みオルコネス公園のレンジャーのいる管理テントに移動し、登山の手続きを済ませる。一人ずつビニールのゴミ袋を受け取る。隊で出したゴミは下山するとき、この袋に詰めて降ろし、帰りにここでチェックを受けるというシステムらしい。それにしても袋を無くすと罰金100ドルと聞き、恐れ入る。乾燥はしているが、お花畑が緩やかに続き、登り切ると小さく浅そうな湖が現れ、その奥にはアコンカグア南壁が白く輝いている。

 歩きながら、後ろから来るムーラを連れた荷揚げの隊列にどんどん追い越される。茶褐色の濁流が氷河から流れこんだところに橋がかかり、小さな壁を乗り越えるとコンフルエンシア(3,400m)、今日のキャンプ地である。28日は高度順化のため、BCへの街道と外れ、右手のオルコネス氷河に沿って遡る。アコン南壁が迫る4,100mの地点にて引き返す。砂礫の中を8時間歩いたが、ストックを両手についての歩行スタイルにかなり手こずり疲れた。コンフルエンシアからBCまでのキャラバンはとにかく長かった。幅が何キロもあろうオルコネス谷を、ただひたすらに延々と歩く。傾斜がゆるいので、なかなか高度が稼げない。周りの山のスケールが大きすぎるのか、目の前の景色はちっとも変わってこない。しばらくして雪崩で壊されたというホテルの跡を通り過ぎた辺りから、高度も上がり急な壁が立ちはだかる。急登を、苦しくはやる気持ちを抑え一歩ずつ上がると、かまぼこ型の建物や色とりどりのテント群が現れてきた。ここがBCプラザ・デ・ムーラス(4,230m)…ムーラの広場の意…であった。先発隊が沸かした紅茶を飲んで、休む間もなく共同テントの設営に移る。整地作業は馬方小屋から借りたジョレン、スコップも使って全員で行う。高地がベースゆえにその作業は厳しく、5分も続けると息が上がってハアハアと苦しい。個人用のテントも全部張り終えた夕食を食テンで済ませ、疲れた体を寝袋の中に滑り込ませ、この日は熟睡する。テントの相棒は広島の永谷さんに決まる。気さくで付き合いやすい人なので一安心というところだ。30日は全員ステイと決まり、ホッとした気持ちになる。明日に備えて荷揚げ用の食料、装備を全員で準備する。

 31日、C1カンビオ・デ・ニベル(5,200m)めざし9時に出発する。高度順化訓練と基地テント設営、荷揚げデポが目的である。氷河から流れる川を渡り、針状に林立する氷塔の真ん中をくぐって上りにかかる。沢上のU字型にえぐれた岩礫の中をジグザグに登山道が上に延びている。左にまいて上ると、台上のしっかり開けたところに出る。見上げると山全体が乾いた砂礫と岩が大きく迫り圧巻である。ジグザグ高度を上げながら時折振り返って下を見る。BCはアコンカグア登山の最盛期だけあっておびただしいテントの数で、さながら穂高、涸沢のにぎわいのよう。斜めトラバースを右に左に昇り返して行くと、小高く盛り上がった丘に着く。カンビオ・デニベル(5,200m)だ。11時着。頭上に目をやると、広い平坦な地点が水平上に広がっている。これが次ぎに目指すニド・デ・コンドル(5,400m)…コンドルの巣、らしい。デポの荷物を出してテントに収容する。あとはひたすらBCに降りるだけなので、富士山須走りを行く要領よろしく、ストックを駆使し、スタンディンググリセードで滑るように下山。

 2001年1月1日、近藤隊長、宮崎副隊長らはC1デポテントをニド・デ・コンドルへ移動のため登攀行動し、他の隊員はステイを取り明日に備える。2日9時、共同テント前に集合し出発。1時間ほどのぼり、三本槍の辺り(4,700m)にさしかかったところで、調子が急におかしくなりダウンする。近藤さんに叱咤されるが意識もうろうとし、立ちくらみもする。前日での快調通過が嘘のようで、自分でも何が起きたのか分からない。即撤退を決め、自力にて下山する。後に持病の糖尿病からきた低血糖のアクシデントであったことが、ほぼ判明する。本日もちろんステイ。天場に一人取り残されて取る食事はわびしい。翌日にみんなが下山し、顔ぶれが揃うまでは退屈する。BCの対岸にあるホテルへ片道1時間をかけ、トレーニングがてら2日と3日の両日通い詰める。昼食はレストランで取る。ハンバーグは巨大で、チーズも挟まって思いのほかおいしい。コークの味がこれに微妙にマッチする。BCステイのときなど、この後も度々、厄介になることになるのである。

 1月6日9時5分、笹川、沢田、稲葉はニコ・デ・コンドルに向かって出発。出発隊はそれぞれインデペンデンシアとニコでキャンプを張り、私達の到着を待っている。4日間ベースに滞在し十分な食事と休養を取り、高度順化とベース地トレーニングを繰り返しやってきた私達すこぶる調子がよい。5,000mの方へ11時30分に着いてしまう。後続の2人はなかなか上がってこない。アメリカ人の老夫婦にカメラのシャッターを押してもらう。クエルノ峰が白く輝き、しばし感動して立ちすくむ。なおも1人にてペースを落として進み、16時10分カンビオに着く。40分ほど待つと2人が到着。と3人揃ってのぼり始めるが、休みすぎたのか調子を落として今度は逆に大幅に遅れてしまった。それでも雪上を苦しみながら登り、天場が近づくと近藤さんが駆け寄りザックを取り上げ「早く歩いてこい」と歩き出し、それに引きずられるように到着。

 1月7日、本日全員ステイ。宮崎さんがおかしくなり、ニコのテントにて休養し隊長が指揮をとるためACへ上がることになる。ハプニングもあり時間が遅れてしまったが、上部へ上がるための訓練は諦めることができない。4時半を過ぎたが、意を決して歩くことにする。ベルリン小屋までたどり着ければとの思いを胸に、ペースを高め気迫も込めて歩く。舗装道路のようにトレースの良く着いた砂礫の続く道をジグザグに登る。地図にある白い岩を左に見送り岩礫の中を快調に高度を上げていくと、右上に鉄骨の朽ちかけた小屋が見え、さらに登るとログハウス風の三角屋根の建物が2棟あり、これがベルリン小屋(5,850m)だと確信する。下方をのぞくとニド・デ・コンドルの広いキャンプ地が見渡せる。辺りが暗くなり不安に駆られるが勇気を奮ってさらに上を目指す。左上方に見えるピラミダルなピークを越えさえすれば、そこにはインデ・ペンデンシア小屋(約6,300m)があるはずだ。さらに高度をがむしゃらに上げるが、このまま突き進むと下山時には足下も暗く見えなくなる。ライトをつけての下山はきわめて危険なことと判断する。「また時間切れ撤退か」と落ち込む。SUNNTOの高度計は6,050mを指している。これを確認、この地点にて引き返す。下山は回り道はやめ直線に、より近い道を慎重に選んで行う。7時40分、暗がりの中をようやくテントに着いた。

 1月8日、9時をとうに過ぎてしまったが、宮崎さんが再アタックは諦めてBCへ先に下り始めたことを聞き、あわててパッキングしてザックを背負って追いかける。頂上アタックに未練はあったが彼を一人で行かせてはいけない。自己としての最高到達高度を体験できたことであるし、再びトライすることも可能だ。この次にはこのアコンカグアではなく、ヒマラヤの地で4度目になるが、捲土重来を心に誓いながら宮崎さんと一気にBCへ下山。かくしてこの冬のアコンカグア遠征登山はまた未到達に終わった。なおこの後天候悪化が続き、隊としての登頂はできなかった。
1月10日ワンディアッセントに再び挑んだ堀内幸子隊員(長野市出身、28歳)は14時間をかけて見事、一人だけ登頂に成功した。



第19回例会のご案内


会員紹介



〜おいしい味を、少し〜


中澤 滋

 今回は料理の基本調味料である醤油と、健康食品の代表である豆腐のおいしいお店を紹介します。私の住んでいる地元梓川村の醤油屋さんと、おとなり波田町の豆腐屋さんです。もう7、8年利用していますが、他の店には興味を覚えません。きっと、どちらのお店もとても真面目で、好感の持てる人達だからでしょう。

上嶋醤油(0263-78-2566)

  
 梓川村は倭にある昔ながらの天然醸造醤油を作っているお店で、広域農道の三郷ジャスコの南、タイヤ館のとなりにあります。こちらに来て買った「松本案内」という古びたような色合いの雑誌に出ていたのを見つけてから、ずーとここの醤油を愛用しています。薄口の「天然醸造醤油」がお気に入りで、その香りの良さから旅行などにも必ず持参するようになりました。濃い口醤油でお刺身を食べることが多かったのですが、この醤油と出会ってからはお刺身もこれ一本です。

 カラメルでこくを出す濃い口も良いけれど、この醤油でお刺身を食べると魚がとても新鮮な味に変身するのです。一升びんで1,340円と少し高いのですが、古いびんを返して買うので最近のリサイクル・リユースの風潮にも合っています。また天然のため、夏場には薄く白いカビが出ることがあるようですが、びんを持っていくと交換してくれるそうです。三郷のジャスコや井上にも置いてある(小びんもあります)ので、ぜひ試してみてください。

下島屋豆腐(0263-92-2159)

  

 波田町の国道158号沿い、松本電鉄下島駅の真向かいにある豆腐屋さんです。豆腐も揚げも一度食べたらとてもおいしくて、もう他のものは食べられなくなりました。都会のデパートでは高級な豆腐を売っていますが、「値段が高ければおいしいはずだ」という、勘違い商品も多いのが腹立たしくてなりません。

 さてここの豆腐では、天然のにがりと長野県産大豆を使った春水豆腐がお奨めで、絹ごし、木綿どちらもおいしく頂けます。絹ごし豆腐のきめの柔らかさは、まるでプリンのようにのどを滑り落ちていきます。香りも良く、箸でも崩れないしっかりしたものです。木綿豆腐は冷や奴で食べてもおいしく、大豆本来の香りがとても気に入ってます。絹ごし(小)が140円、木綿(小)が125円です。大パックもありますので、家族の多い方はそちらをどうぞ。

 厚揚げや揚げもおいしくて、香りの良さが際だち、中の身の柔らかさは豆腐そのものです。変にもさついて、あくのある、しかも油のくどさの残る商品が多いので、この厚揚げを焼いてネギ、ショウガなどを添え、上嶋醤油をかけて食べてみてください。幸せになりますよ。



北小野だよりから

K.S.

 今年の冬は大記録的な雪でした。特に1月27日は1日で60cm程積り、降り続く雪に除雪が間に合わず、まる1日通行止めとなり、大きな影響が出ました。幹線道路は除雪車が出ますが、我が家の前のような生活道路は、各家が雪かきをします。降り続く雪の中、何回も雪かきをし(雪が足首の高さに積ったら雪をかくのがコツだそうです)、雪かき用のスコップを2本だめにしてしまいました。しかし、畑への農道はだれも除雪しません。ハウスがある畑に続く農道も除雪されないので、車が近づけず、腰まである雪(足が短いわけではありません。この雪の前までの積雪も含め1mぐらい)をラッセルしながら、ハウスの屋根の雪下ろしに向かいました。ハウスの屋根の雪を落とし、落とした雪であっという間にハウスの肩まで埋まる雪を、また遠くへ投げます。これを1日中繰り返したおかげで、何とかハウスは無事でした。とにかく今年は昨年と違い、大雪と低温(−20℃以下が何日もあり、凍結防止帯を巻いてある水道が凍ってしまいました)の、とても寒い冬でした。

 冬の寒さは農作業にも影響が出ています。庭の小さな育苗ハウスに3月の初めに蒔いたレタス、キャベツ、ブロッコリー等が低温の為、10日後に蒔いたものと同じくらいに発芽するほど遅れました。また、山の畑はつい最近まで雪が残っていたため、畑が乾かず、耕運が遅れています。そんな中、標高の低い畑からサラダ菜やレタス類(サニーレタス・レタス・コスレタス)の定植、シュンギク、ニンジン、ラデイッシュ、チンゲンサイの種を蒔き始め、続いてじゃがいも、ネギを定植します。ハウスでは夏野菜(ナス、トマト、ピーマン等)が発芽し始めました。4月半ばには苗用のキュウリやカボチャ、ズッキーニ等のウリ類を蒔きます。また今年もいよいよ始まるという感じです。


編集人から

 先日波田町の国道158号沿いにある、安養寺のしだれ桜を見てきました。テレビのニュースでも毎年紹介されるので、ご存じの方もいると思います。国道を通るたびに夫婦で、「すごいねー」といいながらもう10年が経ち、初めての訪問でした。車で走りながら見ると、とてもボリュームがあるように見えるのですが、花びら一つ一つは細く清楚な感じでした。
 波田町の知人に安養寺の桜を見てきた話をすると、その方は檀家なのに桜の頃は忙しくて行ったことがない、というのです。観光客や写真を撮る人でもないし、生活している人は、そんなものかもしれないですね。

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会報目次

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