Iターンネットワーク 新・信州人倶楽部 |
〜第22号〜 |
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平谷村のIさんのことが昨年1月の朝日新聞に掲載され、「よりましょ17号」にその内容を紹介しました。その後朝日新聞社ではこの記事を発展させ、田舎を求め住む人の価値観についてまとめ、12月8日付けの「Asahi Evening News」に掲載しました。Iさんから「英字新聞のため、学校の先生が現在翻訳中」、との連絡をもらっていたのですが、原稿が届いたので紹介します。長文のため2回に分けようかと思ったのですが、Iさんとの関わりが見えないので、一度に掲載することにしました。少し長いのですが、ご了承ください。
〜都会生活から長く忘れていた価値へ〜
Asahi Evening Newsより
日本は戦後、経済力やテクノロジーの進歩、近代的な都市を長く誇りにしてきた。しかし最近少なからぬ人達が「都会生活なんて、もういやだ」と言い始めている。On氏は週の2日を事務所(会社)で過ごし、残りの5日を土をいじり、農作物を作る人達に賛成する見解を持っている。
千葉県出身で29歳のOさんも、あわただしくせわしい都会生活を捨てたいと思っている人達の一人である。Oさんは「それは時間というものに対する私の概念を完全に変えてしまった。毎日同じ電車で通勤する今のライフスタイルとは違って、自分の自由な時間を生み出すことができるから」と言っている。
Oさんは先月東京のある映画会に出席していた。そこではOn氏制作のドキュメンタリー映画が上映されていて、シンプルではあるが豊かなモンゴル遊牧民の生活が生き生きと描かれていた。「四季−遊牧民」と名付けられたこの映画は7時間40分という途方もない時間にも関わらず、多くの人々を魅了している。
1998年に初めて私設上映会という形で上映されてから、東京・大阪、その他の地方都市で1万5,000人以上の人々がこの映画を見ている。「自然の美しさが多くの人々を引きつけているんです」と滋賀大学の遊牧学教授、O先生が話している。2,000人以上の方々が、「この映画を見て私達のライフスタイルを考えさせられました」と手紙で大貫先生に訴えている。「昔のような原始的なライフスタイルに戻れないことは分かっています。しかし、この映画は自然のそばに住むことで私達がどれくらいリフレッシュされるか、お互いに助け合いながら生きることの素晴らしさを私達に教えてくれた」と東京の上映会場に参加したSさん51歳も話していた。「自然に帰ろう」というコンセプトはますます人の心に訴えかけるようなり、それは都会に暮らす人々にとって特に顕著である。
例えばKさん36歳は、1995年1月に起きた阪神大震災の後、妻と3人の子供と一緒に神戸から長野県の小村、平谷村に移ってきた。Kさんの家は震災で倒壊しなかったが、都市における自然災害の恐ろしさを体験したことで、平谷村に引っ越すことを決断したと言う。9月に平谷村を襲った記録的な豪雨のときでも、Kさんはパニックに陥らなかったと言う。なぜなら、地域社会には救急隊があり村民が生産した食べ物が貯えられていたからだ。水道水が使えなくなったときでも、井戸や泉の水を使うことができた。人々が何千、何万といる神戸ではこういうことは考えられないことである。都市生活から思い切った転換に、家族からは何の不満も出なかったと言う。「キャンプに行きたいなあ」と思ったらいつでもキャンピングカーに飛び乗り、子供達と一緒に山へ一っ飛び。予約も何も必要ない。「神戸にいたときのレジャーとは完全に違っている」と久保田さんは言う。Kさんは神戸でカラオケ店の支配人をしていたが、平谷村に2歳年上の姉さん女房、Kさんとピザとカレーのレストランをオープンさせた。Kさんは全くと言っていいほど田舎の女性タイプではなく、14年前に全日本着物コンテストの女王になり、着物を着てヨーロッパに行ったこともあり、また、舞台やテレビで美人役をこなし活躍したこともある。しかしKさんは東京で味わった華やかな世界に何の未練もない、と言う。「夏には私の体のまわりをホタルが飛び交い、長い冬の後にタンポポが一斉に咲き始めることに驚きさえ感じます。黄色いタンポポが一面のじゅうたんのように咲き誇り、春が来たといううれしさでいっぱいになるんです」と彼女は話してくれた。
政府の統計でも、田舎のライフスタイルに対する関心が高まっていることが分かる。たとえば農水省の調べによると、地方や国の機関に何らかの農業関係の仕事に就きたいと相談する件数が、1995年の6,383件から1999年には約3倍の18,102件に達している。国立農業窓口センターによると、都会生活を捨て農業に従事することがどういうことか、分かっていない人も少なからずいると言う。彼らは田舎ならもっと創造的になれるし、柔軟に働くことができると言う。
もちろん、多くの都会の住人が簡単に仕事を辞め引っ越すことはできない。そのため都会の自分の家に田舎の生活を持ち込もうと試みる人もよく見かける。1999年の官房室の調査では、90%近い人達が木造の家に住みたいと思っている。東京に本拠地を置くミンカ合同促進協会は、日本の伝統的な家をまとめて一箇所に作り、そこに新たな地域社会を作り出そうと試みている。「自然を取り込んだ、風情のある伝統的な家を求める人の数は増え続けている」とその協会のリーダー広川一則さんは言っている。「形にとらわれず、やすらぎを与えてくれる作りに惹かるれんです」と彼は言い続けた。その協会は月ごとに研究会を開き、垂木を用いた200年前の合掌造りの家を、再びよみがえらせる企画を考えている。参加者の中には多くの若い女性が含まれていた。
先週この研究会に参加した東京在住、27歳のIさんは「私は都会に住んでいるからこそ、伝統的な日本の家に住むことがあこがれなんです」と言っていた。研究会に参加した20人は群馬県嬬恋村から運ばれてきた木材を使って、自分たちのミニチュアハウスを思い思いに造っていた。実はその嬬恋村にミニチュアと同じ家を建てることになっていると言う。
九州にも田舎への移転を支援するグループ「田舎ネットワーク」がある。その代表のUさんは、「田舎生活のブーム」は90年代初めに始まり、その後途絶えることがなかった。このことはすでに単なるブームではないことを証明している。田舎への移住ということが日本の社会で少しずつ根づき始め、それがライフスタイルやものの考え方を根本から変えることになる」と言っている。またここ数年20代、30代の記録的な数の若者が、都市生活とは違ったもう一つの暮らし方を選択し始めたと言う。「長引く日本経済の不振や環境問題に対する人々の意識の変化が、自分たちの生活スタイルの転換を考えさせる大きな契機となっている」とUさんは言う。
例えばKさんは東京のコンピュータ会社を辞め、秋田県の協和村で民宿風の旅館を経営している。開業してから3年間、都会からのお客さんに大変人気がある。田舎の味をお客にふるまい、山の中に入って野生のキノコを取ったり、薪割りやその他の体験的活動を提供している。2年前には100人しか来なかったお客さんが、今年はお年寄りだけでなく20代、30代の若者を含めて500人の方が来てくれた。何回も来てくれるお客さんもあり、「できれば田舎に移り住みたい」と言う人もいる。
若い人達は都会の生活でストレスを受けている。イネの苗を植えたり収穫することに気を使うようになると、都会生活の全ての煩わしさから逃れることができる。地方自治体の中にはこのような要望をとらえ、村の人口減少と高齢化をくい止めるため、田舎移住希望者を積極的に受け入れているところがある。長野県の平谷村はその良い成功例である。
1992年には570人に落ち込んだ人口が、補助金による生活支援や低家賃の公営住宅の整備によって、現在は677人にまで増えている。役場の話によると、半数以上の村民が1989年以降に平谷に移ってきた人だそうだ。「移住してきた人のおかげで若者や子供達が増え、村は活性化しつつある」と村長の宮輝厚孝さんは話している。4年前村長は、平谷村の人口を800人にする計画を立てた。「地の人はまだまだ保守的な考えを持っているが、新しく移り住んだ方々に新風を吹き込んでもらいたい」と新しく来た方々と地の人の橋渡し役をしているNさんは話している。西川さんは村の釣り仲間・伝統的な平谷の「高嶺太鼓」のグループ、そして村祭実行委員会のリーダーとして、新しい人と地の人とをまとめ上げている。IさんはそのNさんが「新風」と呼ぶその人である。
Iさんは7年前に大阪から平谷に移り住み、5年前から伝統的な「平谷歌舞伎」を地の人達と演じ続けている。「私はゼロから全てのものを楽しんでいるんです。狩りもトウモロコシの栽培も、肉の薫製もそうです。自分で作り上げる喜びがあるんです」と彼は言っている。Iさんの大阪での仕事は、家庭電気設備会社のサラリーマンだった。「平谷に来て給料は半分くらいになった。でもここに来たことを全く後悔していない」と言っている。Iさんは、今スキー場を経営する公社に勤めているが、後の目標はログハウスを建て、そこで全て手作りのそば(うどん)を訪れた人に供することだと言う。Iさんはその第一歩として、最近村内の土地を購入したそうだ。
情報技術の進歩によって、田舎での生活にも変化が生じている。秋田県で旅館を経営しているKさんは、インターネットで村の活動を紹介して反応を得たことから、大都市に住んでいる人達からの予約を受け付けている。1997年に大阪から平谷村に移ってきたAさん42歳は、「Eメールが村での生活を気持ちよく過ごす助けになっている」と言う。中には都会から来た人を快く思わない人がいて、そういう人との行き違いや嫌がらせもあるけれど、そんなときは海外の友達と話をしてストレスを解消するんです。小さな世界にいなくても良い。小さな村に住んでいても誰とでも話ができる。海外の人でもインターネットでつながっている」とAさんは言っている。
〜おいしい味を、少し〜
中澤 滋
毎日欠かさずパンを食べるため、長野県内のパン屋には困っています。食パンは長野市にあるリトルマーメイドの食パン(3斤分)を3本買い、その日のうちに冷凍し、トーストで食べています。たまに都会にでるときは、フォションや紀伊国屋のパンなどをしこたま買い込んだりと苦労しています。ティンカーベル、フランドールなどのショッピングセンター内のパン屋は、バターの香りでごまかすような食パンが多くて願い下げです。次々にパン屋はできますが、子供だけでなく大人も群がる菓子パン(本当はパンではなく、単なるスナックだと思いますが…)がメインのお店ばかりで、パン食文化の貧弱さを感じます。女性がよく利用している松本合庁そばのサンマルクは甘すぎるし、松本エスパのサンジェルマンのパンドミーも3年くらい前から味が変わり、ぱさついて粉っぽい感じがするため最近では買わなくなりました。天然酵母なら何でも売れると勘違いして、まるで素人が作るようなパンを高値で売る店もあります。
このようにIターンして以来不満を抱えたままきたのですが、日刊工業新聞に紹介されたパン屋さんを知ったのは、昨年12月のことでした。早速インターネットでアクセスしたところ、とても満足のいく結果でした。長野県ではなく、お隣新潟県のお店ですが、今回はそんなパン屋さんを皆さんに紹介します。
◆麦ばたけ◆
パン作りで一番大切な生地作りでは、他店にまねできないほど発酵に多くの時間をかけ、そしてていねいに練り込んだ、と店長が言うだけのことはあり、とてもおいしいパンです。
クラウン食パン(2斤、460円)は香ばしい風味と中の生地が練りたてのようなしっとり感が特徴で、イングリッシュ食パン(2斤、500円)はカリッ、という表面の食感と中のふんわり感がたまりません。それぞれが小麦粉の甘さみたいな感じがする食パンで、冷凍したパンをトーストすることで、作りたてのおいしさが変わらずに楽しめます。
たくさんの穀物が入ったひまわりパン(2斤、520円)もリッチな風味でおいしくいただけます。クリスマスに食べるシュトーレン(1本600円)はフルーツケーキみたいですが、くどくない甘さとしっとり感がとてもおいしいパンです。
添加物が少ないのでしょうか、どのパンを食べてもスーッとのどを通り胃に収まってくれるような、そんな やさしい感じのパンです。パン好きの方は是非お試しを。きっとビックリしますよ。
1月26日の大雪は、松本でも64センチの積雪となり、わが家の庭でも70〜80センチも積もりました。生まれて初めての経験で、ビックリと言うより感動もので、玄関アプローチに腰くらいの雪がある様は、雪国そのものでした。
おかげでカーポートの雪下ろしを連続3回ほどしたり、長年使用の雪かき「ままダンプ」はプラスチック部が薄くなり、穴があいてしまいました。雪はね用のスコップは昨年壊れたので、今年は耐久性のあるアルミ製のものを購入。お金は出ましたが、気が付くと犬の雪像を作っていたりと、何だかんだ言っても(私だけ?)楽しんでいたようです。皆さんはどうでした?
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