時空の旅

我々はいかなる世界に生きているのか。身近なさまざまな問題をとおし、科学を哲学を宗教を芸術を…駆使しアプローチする。考えること、創造すること、思うことのコンセプトを提示した科学・哲学エッセイ。


著 者 柳沢 健
発行人 
発行者 (有)創造庵
平成6年9月18日 初版第1刷発行
定 価 1,800円

 

表紙

裏表紙

本文例

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目 次

発進………………………………………………… 3
真理と創造………………………………………… 6
恐竜と人類………………………………………… 11
三段論法異説……………………………………… 13
マルチ商法と日本経済…………………………… 14
負債と資産………………………………………… 17
現代の冒険者たち………………………………… 20
Nの0乗は1……………………………………… 22
無限という暗黒のクレパス……………………… 23
次元の拡大………………………………………… 25
ノストラダムスの予言…………………………… 30
シンドラーのリスト……………………………… 35
李下に冠をたださず……………………………… 37
量子論と遺伝子…………………………………… 43
予知能力…………………………………………… 47
自然は芸術を模倣する…………………………… 49
相補正の世界……………………………………… 54
スクエア(四角)の世界………………………… 65
曼陀羅の世界……………………………………… 70
心の目……………………………………………… 80
入れ子の世界(フラクタル世界)……………… 89
生き残り保健……………………………………… 97
アトランタに生まれアトランタに死す………… 106
まあ、とにかくの世界…………………………… 114
ワープする人生…………………………………… 126
作用と反作用……………………………………… 132
因果律の破綻……………………………………… 138
浮き世どこ………………………………………… 144
時空の風景………………………………………… 147
帰還………………………………………………… 157

前書  20世紀もあと数年で終わろうとしている。2000年という数字はある種の区切りを我々に感じさせる。人間の歴史が始まって以来、あるものはこのように、またあるものはそのように生まれ、生き、そして死んでいった。同時代に全ての人と知り合うことは不可能であるが、人は文字という記述や、彫刻や遺跡などの形によって、その痕跡を地球上のあちことに残し、去っていった。エジプトのピラミッドや象形文字、ギリシアのパルテノン宮殿、メソポタミヤ文明、タイのアンコールワット、中国の殷の遺跡や甲骨文字、メキシコのマヤ文明、南米のペルーの遺跡…神が生きていた時代、彼らは自然をあがめ、その中で愛をはぐくみ生きてきたのである。
 彼らはいったい何を考え、何をめざして生きてきたのであろうか。彼らの試行錯誤は経験と新たな認識を積み上げ、歴史遺産として現代にも脈々と受け継がれ、息づいている。そして今、人類は科学という武器を手に入れ、世界で起きる全てを、たちどころに知ることができるようになった。話す言葉が違っても意志を通じさせることは容易である。世界はひとつになりつつあるのだ。名実とともに運命共同体として宇宙空間に漂う小さな星である地球という宇宙船に乗っているのである。はかなきは人間である。それは昔も今も変わりがない。しかし、そうであるからこそ人間は人を愛し、夢を描き、未来を創造し生きるのである。尾崎士郎は小説の中で「去る日は楽し、来る日もまた楽し、よしや哀憐の情ははかなくても青春の志に燃える青年の心は曇るべからず。」といった。また、若くして華厳の滝に飛び込んで夭折した藤村操は「遼遼たるかな古今、悠々たるかな天地、五尺の小躯をもってこの大をはからんとす、ホレイショの哲学もなんらオーソリティに値せず…」という言葉を残した。私にこの大をはかれるのかどうか自信はない。しかし、今まで培ったもてる力の全てを使い、それに挑んでみようと思っている。
 旅の便りはできるだけ手短に、しかし、心の旅情を失わないように素直に書きたい。そう、ちょうど旅先から愛する恋人に、だす絵はがきのように。

負債と資産
 一般には借金は負債であるといい、預金は資産であるという。しかし、はたしてそれは正しいのであろうか。まず多額の負債を残して、その債務者が亡くなった場合を考えてみるとしよう。保証人等の問題もあろうが、一般にはその死をもって、その負債は償却されるのが通例である。(債権者の貸し倒れ、遺産相続者の相続の放棄等)つまり負債は0になるのである。逆に預金はどうであろうか。多額の預金を残したまま預金者が亡くなった場合、遺産相続者は国にその預金に応じて一定額は免除されるであろうが遺産相続税を支払うこととなる。
 これらのことを人間の生きている一生で考えてみると、借金をしている人は借金をしているという心理的圧迫はあるであろうが、その資金を有効に利用して生活を充実させ、ともかくも人間として生きれたのである。しかし預金者はコツコツと日々努力して将来に備え預金をしたのであるが、その預金が自己の人生に有効に使用されることもなく、遺産相続税として、その人の死後に国に徴収されるのである。これはまさに死後に返済期日が到来する借金のように見える。この借金を返済するために、この人はこの世で一生懸命働きコツコツ貯金したとも言えるのである。また、この世での資産が借金であるとすると、借金することの難しさがよく理解できる。銀行はその人に信用や、返済の能力がなければ貸し出すことはしない。しかし、預金はどのような人でもでき、たとえ1円であろうが預金通帳を作ってくれ、窓口の担当者は笑顔で迎えてくれる。それは、借金が資産であり、預金が負債のせいなのではないであろうか。
 数学に虚数と実数というものがある。2乗するとマイナスになる数が虚数であり、プラスになるのが実数である。我々は通常は実数の世界に生きている。実数の世界でものを考えれば借金は負債であり、預金は資産である。しかし死後の世界からものを考えれば、借金は資産であり、預金は負債である。すると、死後の世界は虚数なのであろうか。
 これに似た認識を我々は時々することがある。たとえば、鏡を前にして鏡のこちら側と向こう側、あるいは太閤秀吉が死の間際に言ったという「浪速のことは夢のまた夢」等・・・どちらが実数で、どちらが虚数なのであろうか、あるいはこの世は実数と虚数の渾然一体になったものなのであろうか。


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